「はいたいコラム」 伝統野菜の名に歴史あり


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 島んちゅの皆さん、はいたい~。島ニンジン、島ラッキョウ、ハンダマ、沖縄にはおいしい島野菜がありますが、先日、東京銀座で、加賀野菜「源助だいこん」の生産者を招いたPRイベントがありました。JA金沢市砂丘地集出荷場大根部会の清水宣幸さんと馬田康弘さんは30代、40代とお若く、オリジナルの大根Tシャツで登場~。一時は減っていた生産者は、現在16人います。

 そもそも源助大根とは? 青首大根よりずんぐり太くて短く、ころっとかわいい形をしています。肉質がきめ細やかで煮汁がよく染みるため、煮物に最適ですが、表面にひびが入りやすく、1割近くロスが出るという苦労もあるそうです。

 源助大根の生みの親は金沢の篤農家・松本佐一郎さん。もともと愛知県の井上源助さんが育てていた品種を譲り受け、10年かけて品種改良を重ね、昭和17(1942)年にようやく完成しました。その大根に、佐一郎さんは自分の名ではなく、愛知の源助さんの名前を付けました。だから「源助大根」! 源助さんに対する感謝とリスペクトの現れです。私は感動しました。賢者は自分の功績を自慢するよりも、先輩の偉業をたたえる方が大事なのです。芸術の世界ではオマージュ、ラーメンの世界ではインスパイア系などといって、ものづくりにはいつも何らかの先人の影響があるものですが、開発した品種に名前を付けるとは、偉い人は違いますね。日本人の心の美しさを見た気がしました。

 な~んて話をしているところへやってきたのは、くだんの松本佐一郎さんのお孫さん! 何と現在の源助大根の部会長を務める松本充明さんです。加賀野菜「源助大根」の生みの親のお孫さんにお会いできるなんて、歴史が一気に縮まりました。これぞ地域に代々受け継がれる伝統野菜の良さですね。

 しかも松本部会長は、一般には「源助大根」と呼ばれますが、本来は「打木(うつぎ)源助大根」と言い、打木地区のみんなで生産を継承していることを熱く語ってくれました。打木地区で源助さんの種を改良した大根を育てるから「打木源助大根」。今は自分が育てているけれども、その品種には元祖がいて、地域の協力があるおかげなんだ。そうした感謝を忘れず後世に伝える、そんな美意識まで遺伝子に組み込まれているのが、日本の伝統野菜なのかもしれません。

 (フリーアナウンサー・農業ジャーナリスト)

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 小谷あゆみ(こたに・あゆみ) 農業ジャーナリスト、フリーアナウンサー。兵庫県生まれ。介護・福祉、食、農業をテーマにした番組司会、講演などで活躍中。野菜を作る「ベジアナ」として、農ある暮らしの豊かさを提唱、全国の農村を回る。

(第1、3日曜掲載)