「地獄の光景」証言 生存者3人語る 伊江LCT爆発


この記事を書いた人 平良 正
事故について語る山城賢栄さん(左端)、友寄隆宏さん(中央)ら=28日、宜野湾市上大謝名公民館

 【宜野湾】1948年8月に102人が亡くなった伊江島での米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故について、生存者らの座談会(伊江島・米軍LCT爆発事故連絡会主催)が28日、宜野湾市上大謝名公民館で開かれた。参加者は「地獄のようだった」と語り、事故の記憶を後世に伝えることを誓った。

 伊江島・米軍LCT爆発事故連絡会は48年生まれの伊江島出身者3人が発足させた。各地で座談会を開いている。

 砂浜にいた友寄隆宏さん(88)=うるま市=は「たくさんの砲弾がボンッと一度で爆発した。体がひっくり返された」と事故の瞬間を振り返った。しばらくして、現場に戻ると、砂浜が真っ黒に染まって遺体の手や足が散乱していたという。「地獄のような恐ろしい光景だった」と話した。

 主和津(しゅわつ)ジミーさん(76)は米軍の通訳をしていた父幸地良一さん(当時36歳)を亡くした。「母親と子どもたちが残され、その日の暮らしも見えないほど苦労した」と述べた。

 山城賢栄さん(78)=宜野湾市=は「102人も亡くなったのに、なぜあまり知られていないか疑問に思っていた。(連絡会が)証言を掘り起こしてくれてありがたい」と感謝した。