県人捕虜の墓標発見 ハワイ米軍施設内 遺族「夢のよう」


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 沖縄戦で米軍の捕虜となり、移送先の米ハワイ州で死去した県出身男性2人のものとみられる墓標が、オアフ島中央部ワヒアワ地区にある米陸軍施設スコフィールド・バラック内で発見された。ハワイ沖縄連合会のジェーン勢理客専務理事が24日、現地を訪れた際に確認した。墓標は1946年にハワイで牧師をしていた故・城間次郎さんが確認しているが、その後、兵舎拡張のため撤去され、移転先は不明となっていた。戦後72年、遺骨を探し続けてきた遺族や関係者からは「夢のよう」「感無量」と、喜びの声が上がった。

 墓標は那覇市出身の安富祖泰平さん(享年37)と糸満市出身の殿内正雄さん(享年18)の2人のもので、いずれも氏名と捕虜番号が明記されている。ハワイ沖縄連合会の勢理客専務理事によると、米軍側に墓標が設置された経緯など詳細を現在問い合わせており「米国の祝日、メモリアルウイーク明けの30日にも正式な回答が得られる見込み」という。

 沖縄では戦時中、3千人余の県人が捕虜となり、ハワイへ移送された。最長1年半の抑留生活を終え、大半が帰沖したが、安富祖さんと殿内さんを含む12人が現地で病気やけがで死去し、遺骨の行方が分からなくなっていた。12人の魂を慰めようと、遺族や元捕虜らでつくる実行委員会が、来月4日にハワイで慰霊祭を開催する。

 慰霊祭開催を目前に控え、墓標が見つかった殿内さんの妹・玉城文子さん(80)=糸満市=は「まるで夢のよう。神のお導きとしか言いようがない」と感極まった。「もう一度兄に会いたい」との思いから急きょ、慰霊祭への参加を決めた。

 安富祖さんの息子、安富泰次郎さん(86)は歩くことが困難で慰霊祭への参加を断念したが、実行委員会に香典を託した。「一生懸命捜してくださった勢理客専務理事や慰霊祭実行委員の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいだ」と謝意を述べた。