捕虜作業着から日本製軍服に 「解放と自由の象徴」 読谷の渡口さん公開


この記事を書いた人 平良 正
1946年12月の日本帰国時、厚生省職員から支給された日本製の軍服。渡口彦信さんの手には手製のポーチ=31日、嘉手納町役場

 沖縄戦で米軍の捕虜となり、ハワイの収容所に抑留された渡口彦信さん(90)=読谷村=が、復員船で沖縄に引き揚げる際に厚生省(当時)から支給された軍服を31日、報道陣に公開した。

 渡口さんは捕虜を意味する「PW」と書かれた米軍の作業着を脱ぎ、日本製の軍服に袖を通した瞬間、「全てから解放され、最高の気分だった」と振り返り、「僕にとって軍服は今も『自由の象徴』だ」と強調した。

 カーキ色の軍服の裏には「製造昭和17年」の文字が確認できる。渡口さんは帰国後も着る服がなかったため「しばらくは私服代わりに着回していた」といい、着なくなった後も自宅で大切に保管していた。

 3千人余の県人が捕虜としてハワイに移送された事実を広く知ってもらおうと、2007年に嘉手納町民俗資料館に寄贈。4日のハワイ捕虜収容所県出身戦没者慰霊祭開催に伴い、特別に借用し、報道陣に公開した。

 軍服のほかに、渡口さんがサンドアイランド捕虜収容所滞在時に廃棄物となった米軍の野戦用ベッドの布を拾い集めて手縫いしたポーチも披露した。