Cocco、20年を振り返る(上) 自分だけでなく、みんなで歩んできた


社会
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 沖縄県出身アーティストのCoccoが今年でデビュー20周年を迎え、3月にベストアルバム「20周年リクエストベスト+レアトラックス」を発売した。7月12、14の両日には日本武道館で記念ライブを開催する。Coccoに20年の歩みを振り返ってもらった。

「みんなで歩んだ20周年なんだなって実感した」と語るCocco=那覇市の琉球新報社

 ―20周年を迎えた心境は。

 「こんなに続くと思わなかった。昨年、『来年は20周年だからベスト盤を出そう』って話になって『20年もやってきたんだね』ってスタッフみんなと感動して盛り上がったわけ。でも、ベスト盤のプロモーションで全国を回ってラジオに出たり取材を受けたりしたら、『うちのラジオは35周年なんですよ』って全部負けるわけ。『20年ってまだ威張るには早かったんだ』と思って。浮かれて記念のTシャツやロゴも作ったのに、恥ずかしくなって今はただ恐縮してます(笑)」

 「ベスト盤で曲のクレジットの整理をしていたら『こんなにたくさんのミュージシャンから音をもらったんだ、ありがたいね』って思った。ベスト盤は初めてファンからリクエストを募った。『手の鳴るほうへ』というカップリングの曲がダントツ1位。ライブでもやってないし、ほぼ忘れかけてたんだけど。ヒット曲が出るのが早かったから、声を掛けられる時に『思春期を支えてもらいました』とか、過去のことを言われることが多い。それで今の自分の行き場が分からなくなる時があって。でもリクエストをとったら、最近の曲もいっぱい選んでもらえてたから、過去の自分じゃなくて20年生きた自分も認めてもらえているんだなっていうのが安心した。自分だけの20年じゃなくて、みんなで歩んできた20年なんだなって実感した」

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 ―歌を始めたのはいつからか。

 「『沖縄のウタ拝』(Coccoも踊りで出演している公演)を主催している同級生の辺土名直子から、高校の時に『学園祭でバンドをやるから歌って』って言われて。Coccoは開邦高校の美術コースだったけど、直子はCoccoの鼻歌を聞いて『いける』と思ってたみたい。それが人前で歌った初めて。直子の選曲でフィンガー5とか、ディープパープルとか(笑)」

 ―高校の時にビクターのオーディションを受けて、後にデビューにつながったそうだが。

 「それはお金目当て。新人発掘のオーディションで賞金100万円だったから、(東京に)バレエのオーディションを受けに行けると思った。その時は落ちたんだけど、目を付けてくれた人が沖縄に捜しに来て『歌手にならないか』って言われた。『自分はバレリーナになるから』って断ったけど、『どうせ東京に行くなら、おなかがすいたらご飯でも食べよう。いつでも電話して』って名刺をもらった。『絶対電話しない』と思ってたけど、バレエのオーディションに落ちまくって、でーじおなかすいてから(笑)。そこから縁があって(デビューした)。バレエのオーディションで私を落とした人に『逃がした魚は大きかった』と思わせたくて。『歌でいけるなら見返してやろう』って思った」

 ―意識して作曲するのではなく、歌が勝手に自然に生まれてくるようになったのはいつからか。

 「最初から。(デビューシングルの)『カウントダウン』も道ばたで歌いながら『誰の曲なんだろう』って思ってた。スタッフに聞いたら『Coccoの曲じゃない? じゃあ録(と)ってみよう』ってなった」

 ―2001年に活動を中止したのはなぜか。

 「歌を好きになったから。それまでは復讐(ふくしゅう)の道具だった。いつでもやめられると思ってたけど、ここにいたいって思った。れんがの積み方が変わってきたから、1回全部なくさないとだめだった」

 ―当時、活動中止の理由として、歌が生まれるスピードが速くなり、CDとして発表するまでの時差がうそをついてるように感じる、とも話していた。今はそれは解決できているのか。

 「以前は(CD発売の)3カ月以上前にレコーディングしないといけなかった。その間にほかの歌がやりたくなっているから、うそに感じた。歌が好きじゃなければそれに忠実じゃなくていいんだけど、自分をだませなくなった。今はデジタルの世界になって(歌が生まれてから発表するまでが)速くなった。絵を描いたり芝居をしたり、他の出口も見つかった。一から十まで(歌という)小さな穴から出すのではなく、これはここから逃がせばいいっていう出口の使い方を学んだ」
(聞き手 伊佐尚記)
((下)は23日に掲載)

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ベスト盤発売 武道館公演も
 ベストアルバムは通常盤3900円。武道館ライブの詳細はホームページ。12日は完売。