『語り継ぐハンセン病』 負の遺産に目を向ける


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『語り継ぐハンセン病』山陽新聞社編 山陽新聞社・1944円

 全国ハンセン病入所者協議会が発刊した「隔離の90年」という写真集を手にした時、点字の文字に舌をあてている男性を撮った表紙の写真の意味がすぐには理解できなかった。題は「舌読」。視力を失い、指先もまひしているので、知覚の残っている舌先で点字を読んでいたのである。写真の意味を、そして舌読という読み方があることを初めて知った。

 その表紙の男性と思われる人物、邑久光明園(岡山県)の金地(かなじ)慶四郎さん(90)が本書に登場する。金地さんの部屋には妹と寄り添っている写真が飾ってある。今でも連絡が取れる唯一の家族だが、金地さんは妹の電話番号を知らない。自分の家族には金地さんのことを隠しているため「向こうからかかってくるだけ」の一方通行の連絡である。

 15歳でハンセン病の診断を受けた。時は1940年、祖国浄化などを訴える「無らい県運動」の最盛期である。「療養所へ行ってくれ」と父親に切り出され、療養所へ。病気を治しながら休養するのが本来の療養所だが、当時のハンセン病療養所は食料の確保や園内の工事、重症患者の世話などが「患者作業」で行われていた。「働かざる者食うべからず」と入所者同士でも言い合っていた。父親が面会に来たのは、患者作業の無理がたたったのか、視力を失って悲嘆に暮れていた時だった。感動で声を上げて泣く金地さんに父親は「おまえがここでおとなしくしてくれるから、家の者みんなが幸せに暮らせる」と言った。絶望的なつらい人生経験を経た金地さんが舌読に挑戦する。毎日2、3時間ずつ舌から血が出るまで練習したと語る。

 今なぜハンセン病か。山陽新聞は、取材エリアに長島愛生園、邑久光明園、大島青松園と国立ハンセン病療養所が三つもあるが、ハンセン病問題を十分伝えてきたとは言えないとの反省と、三園から新たに打ち出された「療養所の世界遺産登録」を目指す構想に突き動かされて長期連載に取り組んだ。当事者の語りにしっかり耳を傾けたい。日本の国の負の遺産にしっかり目を向けるべきだと考えさせられる。

(山城紀子・フリーライター)

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 山陽新聞社で2015年1月から16年3月までの連載「語り継ぐハンセン病-瀬戸内3園」からをまとめた。一連の報道が「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」と「日本医学ジャーナリスト協会賞大賞」を受賞。

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