北農高、慰霊祭継ぐ 農林学校隊の同級生ら「後輩」に感謝


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慰霊祭の引き継ぎを依頼した前名桜大学長の瀬名波栄喜さん(中央)と引き受けた北部農林高校の喜屋武勝校長(左)、東江辰男教頭(右)=5日午後、名護市宇茂佐の北部農林高校

 【名護】東村宮城に建立されている沖縄県立農林学校隊最期の碑で6月23日の「慰霊の日」前後に執り行われている慰霊祭を、2018年から県立北部農林高校(喜屋武勝校長)が担うことが決まった。これまで同級生や遺族を中心に開催していたが、高齢化が進み継承が課題となっていた。遺族や同級生からの要望を受け、5日、同校を訪ねた学徒らの同級生で名桜大学前学長の瀬名波栄喜さん(88)に喜屋武校長が確約した。

 沖縄戦で鉄血勤皇隊に動員された県立農林学校の学徒らは1945年4月28日、東村宮城の内福地(うちふくじ)で米軍と交戦し、隊長を含む11人が命を落とした。その地は現在、福地ダムの底となっていることから、碑は瀬名波さんと遺族らによって2014年6月に対岸に建立された。

 瀬名波さんは「私も90歳近い。どうするか悩み続けていた。引き受けてもらい、こんなにうれしいことはない。深く感謝する」と涙をこらえ話した。

 県立農林学校は1902年に甲種国頭郡各間切島組合立農学校として発足。16年には嘉手納に移転、県立農学校に改称。23年、県立農林学校に。45年に沖縄戦で全焼した。46年に元農林学校生83人が編入する形で沖縄県立北部農林高等学校が開校した。

 瀬名波さんは「歴史的にも精神的にも私たちの後輩だと思っている。慰霊祭を引き継いでいただくのは北部農林高校以外にありえないと考えた」と語った。

 これに対し、喜屋武校長は「農学校から続いて今の私たちがある。皆さんの意思を大切に学校行事として生徒会と共に取り組みたい」と話した。

 県によると、農林学校生徒約130人が鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員され23人が戦死した。碑は16年から東村が維持・管理を担っている。