作品に大きな影響 「ハイサイおじさん」に衝撃


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共演する細野晴臣(左端)、大工哲弘(左から4人目)、久保田麻琴(右端)ら=6月24日、那覇市の桜坂劇場

 細野晴臣と久保田麻琴のトークショー「Road to Okinawa」が6月24日、那覇市の桜坂劇場で催された。2人が喜納昌吉の「ハイサイおじさん」に触発され、作品に沖縄音楽を取り入れた思い出などを語った。大工哲弘、BANJO AIらをゲストに迎えて一夜限りの特別ライブも披露された。

 久保田は1974年に西表島を旅行した際、観光バスの運転手がかけた「ハイサイ―」に衝撃を受けた。「興奮していろんなミュージシャンに聞かせたけど、うけなかった。細野さんにだけうけた」と振り返った。

 細野は「カリブの音楽を聴いていたから日本にもそんな音楽があるんだと驚いた」「音の響きが50年代。70年代の東京ではとれない音だった」と印象を語った。

 久保田は喜納に会いたがったが「周囲の人になぜか『会わん方がいい』と言われていた」。75年の大みそかに中城公園で催されたライブで「ハイサイ―」を演奏すると、翌朝、喜納が会いに来た。

 久保田は「この音楽は世界的なものだから紹介したい」と約束し、喜納と一緒に全国ツアーを回ったりアルバムをプロデュースしたりした。

 一方、細野は76年のアルバム「泰安洋行」で沖縄音楽を取り入れた「ルーチュー・ガンボ」を発表した。久保田が米国のミュージシャン、レボン・ヘルムの前座をした時、ヘルムが打ち上げでかかった「ルーチュー―」を気に入り、細野も呼ばれてセッションした逸話が明かされた。

 2人は「やまとんちゅにとって沖縄の音階は(魂が)持って行かれちゃうような怖いくらいの刺激がある」と指摘した。

 細野は「だから『泰安洋行』を作った時に『はっぴいえんど』時代から聴いてくれていた人たちがみんな逃げた」と笑いを誘った。

 後半では大工や高田漣らが加わり、漣の父・高田渡の「生活の柄」を歌った。「実はベースよりパーカッションがやりたい」という細野が太鼓をたたき、「唐船ドーイ」や「安里屋ユンタ」なども演奏した。喜納も「ハイサイおじさん」などを演奏した。