土葬の象徴に別れ 火葬普及でガンヤー取り壊し うるま・与那城照間


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 【うるま】うるま市与那城照間で6月24日、100年以上前に作られた龕屋(ガンヤー)の取り壊しが行われた。龕屋は、遺体を入れたひつぎを墓まで運ぶ輿(こし)「龕(がん)」を納める場所。土葬から火葬が一般的になり、1960年ごろを最後に利用されなくなったため取り壊しが決まった。区民約40人が集まり、僧侶が龕屋に感謝を伝えておはらいする様子を静かに見守った。

僧侶が龕屋を清める様子を静かに見守る区民=6月24日、うるま市与那城照間

 呉屋栄文さん(95)によると照間では、龕は必ず親族以外で担いだという。

 出棺した日は必ず日が暮れてから死者を出した家の内外を塩で清め、おはらいの意味を込めて、指笛に見送られながらもう一度龕を担いで集落から離れた十字路まで歩いた。

 呉屋さんは「龕の組み立ては慣れないと半日はかかる。組み立てがうまいから、照間の葬儀ではいつも呼ばれたよ」と誇らしげに振り返った。

 福士敬子さん(71)は「子どもたちは、龕屋を指で差したら指が切れるから、差してしまったら口に指を入れて片足立ちで3回回らないといけないと言って怖がっていた。ひつぎを墓に納めた後も死者がついてくるから重さは変わらないともいわれていた」と話し、恐れとともに地域に親しまれた龕屋を惜しむように見詰めた。

 60年ごろに、祖母を龕で出棺した稲福初子さん(76)は「既に照間でも火葬が一般的になり始めていたが、祖父が『絶対に焼かさない』と言ったため、龕で出棺した。龕屋がなくなるのは時代の流れだ」としみじみ話した。

英文へ→Symbol of burials in Yonashiroteruma, Uruma dismantled as cremation takes its place