「大田氏、尊敬する友人」 モンデール氏、県民葬前に哀悼


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 ウォルター・モンデール氏

 【ワシントン=座波幸代本紙特派員】故大田昌秀元知事の県民葬を前に、1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件当時に駐日米大使を務めたウォルター・モンデール氏(元副大統領)が大田氏との思い出を本紙に語った。「大田さん、あなたは沖縄の人々を代表し、人々のために尽くす素晴らしいリーダーだった。私にとって、米国の人々にとって尊敬する大切な友人だった」と哀悼の意を表した。

 大田氏を「古くからの親愛なる友人」と呼ぶモンデール氏は「私も89歳になり、同じ世代の近しい友が亡くなったことは非常に悲しい。沖縄を訪れたのは20年以上前のことだが、大田さんとは何度も話した。平和の礎を訪れた時はとても感動した」と振り返った。

 米シラキュース大学大学院修士課程を修了し、その後も渡米して米国の資料などに基づき多くの論文、著作を発表した大田氏の人柄を「学者であり、教師であり、重大な局面では何度も真剣に話し合ったが、時にユーモアを見せる楽しい人。米国人の関心をよく理解し、関連付けるとても賢い人だった」と語った。夫人同士の交流もあり、大田夫妻から贈られた沖縄の工芸品を今も自宅のリビングに飾っているという。

 米軍基地の整理・縮小を求め続けた大田氏は「日本政府が沖縄の声を聞かないことにとても憤っていた。大田さんと解決策を探るべく、多くの時間を過ごした一方、外交面の協力は日米政府間で話し合わなければならず、私は難しい立場だった」と説明した。

 96年に橋本龍太郎首相(当時)と共に米軍普天間飛行場返還の日米合意を発表したが、今も返還されていない現状に、「過重な米軍基地のために、沖縄は多くの問題を抱えてきた。われわれは問題を少し減らすことができたが、今も基地の存在は大きすぎる」と述べた。