参画の仕組み創る 学生ら番組制作で気付き[平和どう伝えるか 広島・長崎から]5


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 戦後70年の区切りの年となった2年前、私の故郷である長崎のNBC長崎放送と一緒に、「被爆の継承」をテーマとしたラジオ番組を制作したことがある。この時、ある試みに挑戦した。記者やディレクターが番組を作るのではなく、地元の2つの大学の学生たちに、制作してもらったのだ。被爆者がいなくなる将来を見据えて、これまでとは違う番組作りにトライする必要があると思ったのである。

◇表現

「被爆の継承」をテーマとしたラジオ番組の制作に向けて、スタジオで打ち合わせする学生ら=2015年8月、長崎県のNBC長崎放送

 ヒントとなる体験があった。2014年、国際交流のNGO「ピースボート」に講師として参加した時のことだ。広島・長崎の被爆者8人が若者たちと100日間かけて地球を1周し、各寄港地で被爆の証言活動を行った。その中で、新しいことができないかと相談を受けた。考えたのは、被爆者の話を元に、自分たちなりに「被爆」を表現するという企画だった。半分思い付きのようなものだったのだが、予想を上回る作品が生まれた。

 その1つは、2歳で母親とともに広島で被爆した女性が語ってくれた話だった。母親は、戦後、夏に咲く赤いカンナの花を道端で見るたびに、逃げるようにして遠ざかった。彼女は被爆直後、助けを求める人を見捨てて逃げ、その時見たカンナが記憶に焼き付いて、カンナを見ると忌まわしい記憶が甦(よみが)ってくるからだった。

 その母親が、ある頃からカンナの花を恐れなくなった。90歳を超え、記憶を忘却し始めていたのである。苦しまなくなった母。ホッとすると同時に悲しくもあった。娘から見たそんな母を、4人の若い女性たちが歌にした。発表会の日、エレクトーンの伴奏で披露されると、数十人が詞の優しさとメロディーの可憐(かれん)さに思わず涙を流した。被爆の証言が形を変えて聴く人の心に深く浸透したことに驚いた。

 別のグループは被爆後の広島と再生を、白地に血を表す赤を散らした衣装を着てダンスで演じた。被爆者の女性は、「私の話が、こんな風に表現されるなんて」と言って感激のあまり顔を覆って泣いた。

◇日常

高瀬 毅

 思い思いに表現される「被爆作品」を見ながら、私は手ごたえを感じていた。何かを創ることを前提にすることで、聞きっぱなしにできない状況が生まれ、インプットの質が確実に高まるのだと。

 そんな体験から、長崎の大学生たちにも、番組制作の課題を出したのである。制作の過程で気付かされたことがあった。学生たちとの最初の顔合わせの席で数人の学生たちが、口を揃(そろ)えてこう言ったのである。「戦争を直接描いたドキュメンタリーは重すぎて受け止めきれない」「日常のことを通して、平和や戦争のことを描けないか」

 私を含めスタッフは考えこんだ。わからないでもない。だが被爆者に向き合わずに番組は作れない。オーソドックスではあっても、まずは実態を知ることから始めようと、彼らを説得した。だが、いまにして思えば、彼らは大変なヒントを語ってくれていたと思う。

 昨年から今年にかけて大ヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」をご存知の方も多いと思う。戦時下の「日常」を丹念に描き、呉(くれ)を舞台にすることで、「広島」をある距離感の中で捉えていた。それが、多くの人々の共感を得た。日ごろ戦争には関心のない人も、「日常」の物語を通して戦争の理不尽さを想像したのだ。映画を観(み)た時、「ああ、やられた」と思った。なぜ、学生の意見をもっと感知できなかったのだろうか。

◇接点

 若い世代にとって、70年以上前の戦争は、私にとっての日露戦争と同じ時間的距離である。いきなり関心を持てと言っても無理がある。ただ彼らは戦争について無関心というのではない。きっかけさえつかめば激変する。長崎の学生の一人が、被爆者の救護所のことを知った後、俄然(がぜん)興味を持って調べ始めた例も目の当たりにしていた。

 大事なことは、若者に言っても伝わらないと諦めてはいけないということだ。戦争体験者と非体験者をつなぐ接点はどこかにある。

 広島県立福山工業高校計算技術研究部の生徒たちが、いまVR(仮想現実)という最新技術を使って、被爆直後の爆心地の再現に取り組んでいる。360度見渡せる映像と音。ゴーグルを装着し、体験してみた。臨場感が凄(すご)い。VR制作のため生徒たちは被爆者から何度も話を聞き、炭化した死体やケロイドの写真を繰り返し見たという。

 「気分が悪くなることもありました。でも原爆の恐ろしさを伝えるにはそれくらいしないとできません。自分たちは歴史を継承しているということを自覚しています」。部長の平田翼君(18)は、きっぱりと言い切った。

 戦争や被爆体験の記録は、映像、音声、活字によって大量に蓄積されている。その中から証言などをデジタルアーカイブで保存し、世界へ向けて発信するプロジェクトに取り組む若者たちがいる。体験談だけでなく、戦争の全体像を客観的に細部から捉えなおそうという視点も生まれている。

 過去のことを聞くだけでなく、主体的に「継承」に参画する仕組みをどう創造していくか。世代を超えて取り組む時代を迎えている。

(高瀬毅、ノンフィクション作家)

 

◇   ◇

 たかせ・つよし 1955年長崎市生まれ。被爆2世。明治大学卒。ニッポン放送記者を経て現職。著書に『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』他多数。

 

 

 戦後72年がたち、沖縄戦体験者が減少していく中、体験していない世代が今後、戦争の悲惨さや平和の大切さについてどう伝えていくかが課題となっている。

 同様の課題を持つ被爆地の広島、長崎で被爆者の体験継承や平和活動に取り組んでいる識者らに、若い世代への継承の取り組みと課題、工夫している点などについて執筆してもらった。