米軍弾薬処理船爆発事故から69年 伊江島で慰霊祭


この記事を書いた人 平良 正
伊江島の波止場で起きた米軍爆弾処理船(LCT)爆発事故の慰霊祭で手を合わせる遺族ら=6日午後3時半ごろ、伊江村

 【伊江】米統治下の1948年8月6日、伊江島で起きた米軍弾薬処理船(LCT)爆発事故の犠牲者を悼む慰霊祭が6日、伊江村で執り行われた。

 沖縄戦で米軍によって本土決戦に使われず伊江島に放置された爆弾を処理搬送するための米軍の船が荷崩れを起こして爆発、渡久地港から伊江港に戻ってきた連絡船の乗員や船客、出迎えた島民102人が犠牲になった。遺族や関係者80人が参加し、沖縄戦が原因で起きた事故の犠牲者を悼んだ。
 
 当時、連絡船に乗っていて事故を目撃した島袋清徳さん(79)は「沖縄戦が原因で爆発事故が起きた。焼け焦がれて見分けのできない死体がたくさんあった。あの記憶は忘れようにも忘れられない」と当時を振り返った。

 金城正子さん(75)は「大きな音がして天を焦がすほど空が赤オレンジに染まった。真っ黒い煙が島を覆って焼けた人間をおんぶしている男の人が大きな声で泣いていた」と当時の悲惨な状況を語った。

 慰霊祭で島袋秀幸村長は「太平洋戦争が残した悲惨な爪痕であり、過去の過ちや事故を繰り返すことなく、非戦の誓いを次世代に伝えていきたい」と慰霊の言葉を述べた。