「牧草、もう戻らない」 改良30年 地主肩落とす 高江ヘリ炎上、米軍土壌搬出


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西銘晃さん

 【東】東村高江のCH53E炎上事故現場で20日、米軍がショベルカーで何度も現場周辺を掘削し、大型トラック5台分の大量の土を持ち帰った。現場は、土地の所有者である西銘晃さん(64)が30年間かけて牧草地として土壌を作ってきた場所。20日夕方に規制線が外れて、事故後初めて現場まで行った西銘さんは「もう牧草も地面にへばりついてぺしゃんこになっていた。大型車もあれだけ入っていたから。変わり果てていた。いまさら元には戻らないだろう」と肩を落とした。

事故機の残骸を回収する米兵のそばで、土壌の採取を行う県と防衛局職員ら。米軍はその後、パワーショベルで土を大量に運び出した=20日午前11時半、東村高江(具志堅千恵子撮影)

 午後3時半ごろ、米軍の大型ショベルカーが炎上した機体のあった場所に近づき、牧草ごと土を掘削し始めた。台風の影響で強い風が吹く中、土とともに牧草がむしり取られていった。大型トラックの荷台からはみ出すほど盛られた土と牧草は、日も暮れた午後6時半に最後の1台が出て行った。

 西銘さんは、前日に米軍から土を調べるため持ち出すとの説明は受けていたが、土質調査のため少量だと思っていた。この日、機体の一部が広範囲に飛び散っていて台風までに全ての残骸の回収が困難だったため「土ごと回収して部品を選別する」と米軍から説明を受けた。しかし大量に土を持ち帰る米軍車両を見て「ええ! あんなに持って行くわけ? 県の調査も全然できていないのに」と驚いた様子で話した。米軍から持ち帰る土の量の説明は事前になかった。

 西銘さんの牧草は畜産農家からも「質が高い」と有名だった。豚を飼育しており、豚の堆肥を土に混ぜて30年間耕してきた。ヤギや牛が好んで食べ、中南部の人も牧草を買い求めるほどだった。「土壌は30年かけてとても良くなった。元通り回復するのはかなり不可能に近いだろう」と話した。

 事故現場には2ヘクタールの牧草が残っている。だが「その部分はもう駄目だ。もうやっていけないから」と、20日から別の畑の植え付けを始めた。規制線で入れなかった先にも、まだ刈り入れしていない3ヘクタール分が残っている。だが事故から1週間がたち、雨も降り品質は落ちた。「原状回復にどれくらい時間がかかるか。30年かけて肥やした土は、はぎ取られてしまった。もう最初から諦めている」。怒りを抑えるように語った。