《冒頭、翁長雄志沖縄県知事が文書「知事コメント」を読み上げ》
奧港の使用許可および海上運搬について
普天間飛行場代替施設建設事業に係る国頭村奧港の使用許可について経緯をご説明させていただくとともに、沖縄防衛局が同港から石材の海上運搬に着手したことについてコメント申し上げます。
奧港に関しましては、民間業者から本年6月に使用許可申請がなされた時点で、県としてどのような対処が適当であるか、弁護士とも相談しながらさまざまな観点から検討をいたしました。
その結果として、港湾関係の法令上、「港湾施設を損傷するおそれがあるとき」など、特定の場合に該当するときを除いては、許可することが適当とされ、何人に対しても不平等な取り扱いをすることは禁じられているものであり、港湾施設の管理および運営上からも、不許可にすることは困難であったこと、また、県として不許可にできる余地はないか、許可不許可の判断を保留することができるかについて弁護士に相談したところ、弁護士からも、申請者に帰責事由がない場合に不許可にするのは難しく、判断の保留も難しいとの助言があったことなどから、許可せざるを得ないものと判断したものでございます。
今回の件につきましては、県民に多大な不安と懸念を与えてしまいましたが、昨日県は、国頭村と奧区をお訪ねし、この度の経緯などについてご説明申し上げたところであり、工事車両などによる粉じん、騒音などの地域への影響については、国頭村、奧区と連携しながら対処し、地域の生活や安全面への配慮に努めてまいりたいとご説明を申し上げたところであります。
県としましては、今後、奧港の使用に伴い想定される影響については、公有水面埋立法など関係法令に基づき、厳正に対処していきたいと考えております。
一方、K―9護岸に台船を接岸して石材の海上搬入を行うことは、願書の添付図書である環境保全図書で予測がされておらず、埋立承認の際の留意事項に基づく変更承認が必要となる可能性があることから、10月2日付けで、県との協議が調うまでは実施しないよう行政指導を行っておりました。
しかしながら、県の行政指導に従うことなく、また、地元集落が求める説明を行わないまま、沖縄防衛局が拙速に海上搬入を行ったことは極めて残念であります。
埋立承認願書には、K―9護岸を、建設途中で仮設桟橋として係船機能を持たせる設計は記載されておらず、また、海上運搬に関する記載は、「購入土砂など」の埋立用材や海上ヤードに関するものであり、傾斜堤護岸造成のための石材はダンプトラックによる陸上輸送による旨が明記されております。
奧港からの石材の積み出しおよびK―9護岸を使用した海上搬入のいずれも、環境保全図書を変更して環境保全措置を講ずる必要があることから、県としましては、沖縄防衛局に対し、直ちに奧港を使用した海上搬入を停止して、留意事項に基づく変更承認の手続を行うよう求める文書を本日付で発出したところです。
今後、県民の皆様に丁寧な説目を心かけるとともに、辺野古に新たな基地を造らせないという県民との約束を実現するため、県庁一丸となって取り組んでまいりますので、引き続きご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
平成29年(2017年)11月15日 沖縄県知事 翁長 雄志
《以下、翁長雄志沖縄県知事と記者団の一問一答》
「この4、5日で私が沖縄にいない間にも動きもあったようであります。そういったことを踏まえて質問に答えたい。細かい法律的なところは事務方に振ることもあるのでよろしくお願いしたい」
―海上からの資材搬入の受け止め。こうした手続きが適切と考えるか。今回の県の行動について、辺野古の反対派からも疑問の声が上がっている。県の対応は?
「3つあるので1番目から。 海上搬送をしたということについてどう思うかと言うことであります。私ども、この件がいわゆる奥港を含め、許可申請が出たときに大変悩ましかったのは、この岩礁破砕、公有水面埋立法ですね、こういったことと港湾法が全く違う形で整理をしないといけない、ということがあった。
そういう中で、県民の間からもありとあらゆる手段で止めるというのに、そういうことをして、そういった方向性が見えるのか、という声があるということも十二分に聞いている。そういう中で、ある意味合法的に物事を進めることと、その心配、いわゆる港湾法との関わりで、不許可にするデメリット、そういったことと、今後の新辺野古基地を造らせないという中で、どのように調整するか、ここ数カ月間、大変議論をしたところだ。 いま海上搬送については、奥港自体の、使用しての海上運搬や、K9護岸を桟橋として使用することについては、公有水面埋立承認願書などに、記載のない事項であるので、公有水面埋立法上の問題点があることから、この点で沖縄防衛局を追及できるものと考えている。ですから国がなりふり構わず基地建設を推し進めていくということについては、私どもも心して、この不条理なやり方で物事を進めることについて、しっかりと対応したい」
―こうした手続きが適切と考えられるか?
「海上搬送については、K9護岸を桟橋として利用するということは、けしからんというものだ。いわゆる公有水面埋立法承認願書などに記載のない事項であるから、これは留意事項違反ということも含めて、これから議論ができるということでありますので、海上搬送については、それを念頭にこれから対処をしたい。
最後に県民からの声も、これは奥港のことが表に出てからは、いろんな形でお声を耳にしている。耳にしながら、私自身がその声の気持ちと、全く一緒であるものですから。気持ち的には。それがいわゆる行政として、結果的に良い結論を出すのに、どういう方向性がいいのか。これは、いろんな角度から考えていかないといけない。1つ1つの法律の問題の適法性もふくめて、それから法廷闘争の維持の問題、それから対本土の世論等々も含め、何が一番できるかということについては、県民の思いも胸に秘めながら今日まできたところだ。
今もその気持ちは持っているので、いま申し上げた冒頭のコメント、1回目の質問で答えたことなどを踏まえて対処をしていくということであるので、また皆さん方の質問を受ける中でお話をしたい」
―きょう市民団体が県庁にきて、奥港の使用撤回を求めた。その中で山城博治沖縄平和運動センター議長が、知事が奥港の使用許可を出したことについて、これまであらゆる手段で止めるといっておきながら、許可を出したのは公約違反だ、言行不一致だと厳しい批判をした。受け止めは。
「先ほどのことにもつながるが、特に山城さんの場合、本当にこの1000日、正確にはもっとそれ以上になるが、現場で頑張られて病気も克服しながら多くの方々を、その目的のために頑張っていただいたと。そして不法な不当な刑事的な扱いも受けたという意味で、大変、山城さんの思いを考えると、私自身も忸怩たるものがある。そういう中で、許可をしたというのは公約違反ではないかというのも、当然率直な気持ちとして出てくるのは否めない。
ただ私が申し上げたように、この公有水面埋立法と港湾法の法律の違い。いわゆる港湾法に書かれている文言というものが、なかなか不許可に値するというものが難しいと。 それを厳しくするということも、やろうとすればやれるんでしょうけれども、おそらくは法廷闘争になっていくでしょうし、そういったことの中で、どちらがどうなのかということについての問答が、今日まで担当職員とも、弁護士ともいろいろ議論をしたところだ。 今回山城さんが大変な思いで、私はそこにはいなかったが、全部どういう話であったかというのは聞いているので、こういった気持ちで来られていましたよ、というのを、お聞きしていますから、この思いを、これもしっかり受け止め、これからの一つ一つに生かしていきたいという風に思っている」
―知事としては公約違反ではないという認識か?
「公約違反というものの、物の考え方になるが、公約違反、この埋め立てをさせないということについての有効な方法、新辺野古基地建設を阻止するという一つ一つの過程の中でやっていくことについて、これからある意味10年闘争というか、長くあればそういうことになるわけですけど、その場面場面で私どもがしっかりと民意をつけて、そして対本土という意味でも、理解をする人を増やして、その中から色んな選挙などを含めて、やっていくということであるので、今の時点で公約を違反しているとか、そういった問題ではございません。
十二分にこれからも公約を意識しながら、私は造らせないということで当選したので、いまある意味で、法律と大変かけ離れた形で結論を出すことが、造らせないことにつながるのかどうか。これも冷静に私なりに判断をしている。しかし私自身は、今日までの言動から含んでも、絶対に造らせないという決意は変わらない。変わりませんので、いま言ったように、今ある時点からの反省材料を含め、例えば奥の区民に説明が十分でなかったとか、それから道路あれだけの粉じんをあげながらトラックがダンプが通っていくと。
こういうことについての認識を、現実的に奥の区民に伝えられなかった。それは一切上、港湾法との関係でどうなるのか、と。新たな事態が出てきているので、こういったことも含めて、この辺の対処について、しっかりやっていきたい」
―明日で当選から3年。北部訓練場の返還でも発言に批判があったが、今回は中でも厳しい状況ではないか。この3年を振り返って、どうみるか。
「明日が3年になるとは全然意識がなかった。明日が3年目と、ああ、3年終わったということになるのか。それで振り返ってどうかということだが。簡単にそのことを話すと、当初の半年間は(政府は)会ってくれなかった。これだけ安全保障を沖縄に負わせておきながら、政府と考え方が違う知事が誕生したら、半年間は会ってくれなかった。 そして取り消しを公約にしたんだから、公約をしろというのは、3年前の2月、3月から明日か明後日か、というのがあった。そして第三者委員会を設置して、その結論を待つ中で、正確ではないが、6月の末ごろに結論が出たという中で、集中協議を提案されて集中協議のために一カ月間工事が止まったということもあった。
しかしそれも安保法政との関係でアリバイ作りではなかったか、という批判もあったが、私たちからすると話し合いをすることが大切だったということと、ひとつ物事の展開ができないかというのもあった。
しかしそれも関係なく物事が進んだから、もう2カ年前になるか、10月13日に取り消しをした。そのときも遅い遅いと、物事は一つ一つ進んでいるじゃないか、ということがあったが、第三者委員会という客観的な判断を持ちながら、それをベースにして説得力のあるような裁判逃走もやって、そして取り消しもやっていくということを心がけてやっていたら、裁判の途中で、おそらく政府側のミスだったと思うが、これを受けて和解勧告が出された。
これも蹴飛ばすこともできたが、和解勧告をしない中での法廷闘争も、どういうものが見えてくるかというものも、わたしたちの大変な思いだった。 和解の勧告を受け入れたところで、また8カ月ぐらい工事が止まったと思うが、この工事が止まったという所で、一定の公約の一つを前に進むことができたと思う。あれはあれなりに、時期も含めて、決断の、大変な決断ではあったわけだ。
しかしながら、高裁判決の内容と最高裁の判決内容を見たところ、とても耐えられるものではなかったが、司法に物を申すというのは意見としては言えるが、それ以上の言葉で言うことはできないので、その流れの中できた。 そうすると、今度は撤回というものが出てきている。
撤回も、私自身はあちこちで表明しているから、私自身の責任でこれはやりますと、今日までの一番直近の大きな集まりでも申し上げたところだ。 だから、これからもこういったことなどを踏まえて、私自身の公約の実現、あるいはまた、そういった撤回も含めて、物事の進み方の5年も10年も先を見据えながらの、毎年毎年の一つ一つのけじめというようなものを作り上げていきたいと思っているので、まずもって、それを私なりに決断をするのは、最終的に私がやりますということで申し上げている」
―山城さんの話だと、こういう状況だと2期はないという言い方まで。知事としては、長くかかるとみているが、2期目も引き続き考えているか。
「今、県民の思いは、日米両政府の理不尽な、それこそ先ほど申し上げた、600人の機動隊、あるいは自衛隊のヘリ、その中で着々と私どもが、行政指導しようが何しようが、蹴散らして前に進んでいく。そして現場では(座り込みをすると)機動隊に引っこ抜かれて大変ご苦労されている。こういった方々の思いというものが私に向かうというのは、私からするとこれは当たり前のことではないかと思っている。 やはり新辺野古基地を造らせないということの、一番最前線、先頭に立って、県民の思いを胸に秘めながら、私たちの責任を感じつつやっているわけだから、そういったことを県民が抱くということについて、私がこれについて、言葉を使うことはないわけで、逆に言うと、私からいうと、全身全霊、新辺野古基地は造らせないというようなものを、日々、一日一日、いい形で実現できるように努力していくということを申し上げて、これからの、おそらくは1日後とか、1週間後とか分からないが、いろんな場面が出てくると思うので、こういった中で県民と心を一つにして頑張っていきたいと思う」
―撤回は1期目のうちにやるか。
「こういうのも私の責任でやるという話で、これは明日やりますか、1カ月後にやりますかというようなことは、ただでさえ、国家権力の大きな者と対峙(たいじ)をしているときに、その時期まで明示しながらやるということは、私はいま考えていない。しかし、必ず、私自身は公約を果たしていく。以上だ。
赤十字の集まりで夕食会のあいさつをしないといけない。もともと決まっていた時間帯なので。失礼する」(おわり)