船長ら「ほっとした」 比から帰沖、家族出迎え パラオ沖漁船転覆


この記事を書いた人 大森 茂夫

 パラオ諸島沖で那覇地区漁業協同組合所属のマグロはえ縄漁船「第一漁徳丸」がフィリピン船籍の鮮魚運搬船と衝突し転覆した事故で、船長の玉城正彦さん(62)と機関長の嶺井秀和さん(49)が25日、滞在していたフィリピンから帰沖した。那覇空港到着ロビーには家族や漁協関係者らが2人を出迎え、無事を喜んだ。

無事を喜ぶ家族らに迎えられる第一漁徳丸機関長の嶺井秀和さん(左端)と船長の玉城正彦さん(右から2人目)=25日夜、那覇空港(大城直也撮影)

 玉城さんは「捜索に関わった皆さんに本当に迷惑をお掛けてして申し訳ない。ほっとしている」と話した。嶺井さんは疲れた表情を浮かべ「ほっとした。休みたい」と語った。

 那覇地区漁協組合の山内得信組合長は「関係者全員が持てる立場を最大限利用し、情報収集に努め、現場での捜索活動を懸命に行った。必ず生きていることを固く信じてきた。本当にありがとうございました」と謝意を述べた。

 第一漁徳丸(19・99トン)は11月1日に那覇港を出港した。20日夕、那覇に帰港する途中で、パラオ諸島沖でフィリピン船籍の鮮魚運搬船「ジョセリン」(171・58トン、乗組員・フィリピン人5人)と衝突し、遭難信号を発した。21日朝に転覆した状態で発見された。玉城さん、嶺井さんとインドネシア人5人の乗組員計7人はジョセリンに救助されていたが、22日まで連絡が取れず、行方不明となっていた。

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 25日夕方、那覇空港の到着ロビーでは、「第一漁徳丸」船長の玉城正彦さんと機関長の嶺井秀和さんの家族や漁協の職員ら数十人が2人の到着を今か今かと待ち続けた。午後6時半すぎ、到着出口から出てきた2人に家族らは涙を流しながら駆け寄り、「お帰りなさい」「元気で良かった」と言葉を掛けて抱き合ったり、手を握ったりして再会を喜んだ。

 「お父さーん。こっち、こっち」。玉城さんの姿が目に入ると、長女の美衣奈さん(19)は手を振って駆け寄り、父親の胸に顔をうずめた。涙があふれ、すぐに言葉が出てこなかった。

 「行方不明」の知らせを受け、美衣奈さんは不安で眠ることができなかった。だが「亡くなっているとは思っていなかった。お父さんなら必ず生きて帰ると信じていた」。「全員無事」の一報が入り、ようやく胸をなで下ろすことができた。美衣奈さんは報道陣の取材に「本当によかった。しばらくはゆっくり休んでほしい」と顔をほころばせた。

 嶺井さんの母親、初子さん(77)は嶺井さんが姿を現すと、すぐさま駆け寄り、手をぎゅっと握った。「お帰りなさい。元気でよかったね」と語り、体をいたわった。両目からうれし涙がこぼれ落ち、ハンカチで涙を拭い続ける初子さんに、疲れ果てた様子の嶺井さんの顔にも笑みが浮かんだ。

 嶺井さんの妻、ひとみさん(49)は安堵(あんど)の表情をみせた。今月1日、遠洋の漁に出る夫を自宅でいつも通り「行ってらっしゃい」と見送った。しかし21日朝、船主の山城千典さん(70)からの事故を知らせる電話で日常が一変した。何が起こっているのかも分からず、震えが止まらなかった。ニュースの映像は「怖いから、見ないようにしていた」という。「絶対助かるだろう。絶対無事だ」。自分に何度も言い聞かせ、吉報を待ち続けた。数日後、無事の連絡を受けた時はほっとし、涙が止まらなかった。嶺井さんには電話で「ご飯は食べてるか。疲れてないか」と声を掛けたという。

 嶺井さんのおじに当たる船主の山城さんは、自分が乗っていた船を3年前、嶺井さんに引き継いだ。「船の代わりはあるが命に代わりはない。本当に無事で良かった」と話し、「頑張れよ」と2人を励ました。

 2人は、到着ロビーで詰めかけた報道陣の取材に応じたが口数は少なく、突然の事故で大きな心労を負っているようだった。那覇地区漁協の山内得信組合長が協力してくれた全ての人に対し、感謝を述べると深々と頭を下げた。