惨事「風化させない」 米軍機墜落56年 川崎小で平和集会


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詩「生きる」を発表する児童=7日、うるま市の川崎小学校

 【うるま】1961年に旧具志川村川崎(現うるま市川崎)に米軍機が墜落し、2人が犠牲となった事故から56年を迎えた7日、現場近くの川崎小学校(松田政美校長)で平和集会が開かれた。事故で一命を取り留めた金城善孝さん(63)=うるま市=の体験を踏まえ、6年生児童が悲惨な事故の様子を発表し「金城さんが一生懸命生きて命がつながった。事故を風化させず、生きていこう」と訴えた。

 金城さんから体験を聞いた児童6人は「普通の生活ができるまで2年かかった」「退院後もやけどの痕が残り、バスで化け物を見るような目で見られ悲しかった」と報告した。6年生は谷川俊太郎さんの詩「生きる」を大きな声で発表し、下級生に命の大切さを伝えた。最後は400人以上の児童全員が「平和の鐘」を歌い、米軍機の飛ばない平和な地域を求めた。

 金城さんの孫で同小5年の山入端乙音さんが、金城さんに宛てた手紙を読み上げた。「生きていてくれてありがとう。そのおかげで私がいる」。仕事の都合で参加できなかった金城さんに代わり、妻の尚美さん(60)が涙で目を潤ませながら手紙を受け取った。

 体験を報告した金城晃志(こおし)君(11)は「やけどでまぶたが腫れ、目が3カ月開かなかったという話が心に残っている。みんなにも伝わるよう発表できた」と話した。福原陸乎(りくや)君(11)は「聞いた話をいろんな人に知ってほしい。まずは家族に今日のことを話す」と決意を語った。