会見全文/新春インタビュー「新基地の遅れは民意の力」/翁長雄志沖縄県知事/報道各社合同インタビュー/2017年12月21日


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新春合同インタビューで記者の質問に答える翁長雄志沖縄県知事=2017年12月21日午前、県庁

 ―2018年沖縄にどういったふうに位置付けられる年になると思うか。

 「お答えする前に、昨日朝から風邪引きまして、こんな声でずっとやると思いますので、一つよろしくお願いをしたいと思います。

 いま2018年、沖縄にとってどう位置付けられるかというようなことであります。 私も今日まで3年間、県政運営をして参りまして、その実感からすると、来年はさらなる飛躍の年にしたいということが1つは言えるのではないかと思う。

 特にアジアのダイナミズムを取り入れての、沖縄経済の発展、主要な事業であります観光、物流、情報通信産業、これらもある意味、この数年来、大変な勢いと堅実な立場をつくってきているような感じが致します。 ですから、私も台湾、香港、シンガポール、中国、韓国といろんなところを回ってまいりましたが、その色んな分野で、そういったことが絶好調で続いているということは、沖縄にとって戦後70年たって、いま初めて日本とアジアの架け橋になる、万国津梁の精神という大きな目標が現実味をましてやってきたなという感じを致しております。ですから、21世紀ビジョンとか、アジア経済戦略構想とかありますけど、これらをしっかり検証をし、さらに先々につなげていくということが大きなことかなあと思っております。

 それからまた、後でもあるかもしれないが、米軍基地問題は、沖縄県民のある意味では不屈な戦いを通して、地方自治とか、民主主義のあり方を内外に展開をすることによって、最近になりますけど、日米地位協定とか日米合同委員会のあり方とか、これが県議会の本会議でも与野党から出てきておりまして、こういったことを解明しないと話が前に進まないなというようなところまで、理解が深まっているような感じが致しております。

 なおかつ全国規模でも、いろんなメディアの報道を見ますと、自民党内、あるいは閣僚内、いろんな委員会の中でも、 地位協定、合同委員会、こういったこと等の絡みで、小学校への例のドアが落ちてきたこと等、解決できない日本のあり方というものに、大変多くの人が理解を示してきているなというふうに思っている。それと今日まで、ニューヨークタイムス、ワシントンポストを含め、沖縄県のことを報道されて、またこれから以降も持続的にやっていこうということでございますので、最初の質問に答えるという意味では、そういった方面からも、しっかりと基地問題にも取り組んでいこうと思っております」

 ―沖縄振興。きょう(2017年12月21日)も報道があったが、沖縄振興予算が減額されるということがあった。その減額の話しに加え、MICEの未交付決定など、締め付けと指摘されるほど、政府との折衝で厳しい現状があるが、これを県としてどういうふうに打開していくか。

 「新聞等、あるいは私のほう、1週間ほど前から一定程度のそういう来年度の沖縄概算要求がどのような決着をするかというのは、一定程度、見通しを立てておりましたが、今日中にも発表されますので、この件については確定してから。その前に話しをしますと、また語弊があったらいけませんので。多分今日中にはしっかりとした数字が入ってくると思いますし、少なくとも明日中には来るわけですから、この件はあらためて、こういう形で話しをさせて頂きたいなと思っています。 ただまあ、先ほどの基地問題等々もそうですが、いま沖縄経済は順調だという話しをさせて頂きました。しかし、振興予算というのは大変厳しい状況でありますので。なおかつ一括交付金等が、沖縄県の自立の一番の眼目でありました一括交付金等もまだ先が見えてきておりませんので。この辺をふまえると、私は県民には基地問題のいまの現状も含めて、すべてをしっかりと冷静に見通して、沖縄の置かれている環境というようなものを考えて頂きたいなと、というふうに思っています。

 その中でも沖縄振興の予算の件についてでありますけど、これから 5年後、沖縄振興特別措置法が期限となってやって参りますので、昨年10月に設置したプロジェクトチームですね、後半に入って、この21世紀ビジョン、あるいはアジア経済戦略構想、こういったことを総括しながら、次の振興計画を見据えて、重要な政策を抽出しつつ、新たな●(※「テーマ」とも聞こえますが不明瞭)を考えていきたいなとは思っております。いまご質問にはこういう形でありますが、またさらにご質問があったらお願いします」

 ―沖振法の延長を求める考えは、県としてありますか。

 「そうですね、いまいろいろ自立への道、あるいはまた、いろいろ少しずつ変えていかなくてはならないものが、私たちの力をつけることによってあろうかと思いますけれども、今の時点でこういったことを見通すと、やはり次の5年後にも、沖縄振興特別措置法がですね、延長され得るというようなものは、視野に入れながら物事を進めていきたいと思っています」

 ―アジアの経済戦略について。ことし2017年に得られた収穫と、来年に向けて、今後に向けて見えてきた課題はどうお考えですか。

 「私も那覇市長時代から、県政のほうには参加させて頂いて、香港とかシンガポールとか、中国は独自でも行ってきましたけど、那覇市と福州市の姉妹都市ということがありますから。 あの時期が10年ぐらい前だとしますと、本当に今年の1年間は大変な絆の深さを感じております。 どの国からということでもありませんけど、今年のちょっとした出来事では、2月にはタイ、バンコクから那覇に飛行機が飛んでまいりました。 これは去年までは、入域観光客、タイからは3000人だったが、ある意味まだ途中であるから正確ではないが、3万人に届こうというですね、そういったようなタイからもきております。

 それから一昨年にシンガポールに行って、経済界の皆さんと、まあマイスも見学したんですが、いろいろ定期直行便などの話をしましたら、ぜひともチャーター便からまず飛ばしたいというような話があって。ことし11月に飛行機が飛んで参りましたけれども、これはチャーター便ではなく定期便ということで、週2回飛んでいただけるということでの、シンガポー ル路線も開設をされました。この2つは何が違ってくるかといいますと、欧米のお客さんが、タイとシンガポールには大変たくさんおいでになる実績があります。そうすると、トランジットということも含めて、タイに来て、そして日本に行きたいという人もたくさんいるものですから、その中に沖縄に行って、本土に行くと。

 逆に本土から沖縄に来て、タイやシンガポールに行くという。そういった仕組み作りも、ひとつの新たな展開としてあるのではないかということであります。 それから香港も韓国もそうだが、ナイトイン韓国、ナイトイン香港に行ってまいりましたら、香港のここでいうコンベンションビューロの会長となりますかね、2回お会いをしましたら、本当に沖縄に理解が深くて。ご自分も沖縄に旅をしたというようなことも含めて、香港と沖縄の観光、物流、輸出入、いろんなこと等含めてやっていきたいという話しもあった。 韓国も1回目のナイトイン韓国でしたけれども、最後にカチャーシー踊ったときに、向こうの旅行●(※「興業」という風にも聞こえますが不明瞭)会長がですね、最初から最後までめったに踊らない人らしいんですが、踊って頂いてですね。そういうのもあります。ですから1つ1つが、中国もそうですけど、台湾もそうですけど、みんな良い形で来ております。それを1つ1つちゃんと説目するとあれですので、説明しろと言えば説明しますが、一定程度という意味では大体こんなような状況で。アジアの経済戦略構想、順調に伸びているというふうに思っています」

 ―県にとって、3人に1人といわれる子どもの貧困問題も大きな課題。この施策の成果と来年以降、今後の目標について聞かせてください。

 「子どもの貧困の問題は、もう一昨年になるんですかね、私どもの●(※「その」とも聞こえますが不明瞭)担当の職員がですね、全国に先駆けて沖縄の子どもの貧困についての調査を開始した。そして、小中学生から始まって、ことしの初め頃には高校生の実態調査まで分かって参りまして、やはりこのベースが分からなければ対処の処置もできないわけですから。 とりあえず、そういうような流れを、いの一番に造りあげました。

 そして、いま質問があったように全国は約16%ですが、沖縄県は29・9%で約30%。約2倍の子どもの貧困率があるわけですので、これにどうやって対処するかということでありましたから、私は30億円の基金を積んで、これをベースにしながら、なおかつ子ども未来県民会議という、沖縄県と経済界、あるいは福祉団体、いろんな団体と連携して、さらに別の側面からもこれを支えていこうということでやりましたら、まあ当時熊本の大震災とか、それから心臓を患ったお子様とか、 あるいはまた、いろんな方々がこの子どもの貧困のことについて寄付金を集めて頑張っておられた。

 総額は大変なことになると思うんですが、沖縄県も1億円弱集まって、この児童相談所を卒業した子どもたち、ことしの実績で9人、来年は18人、この大学進学給付型奨学金をですね、やれるようにもなっております。 あと無料塾とか、子ども食堂とか、いろいろありますが、これは色んな要素があって、工夫をして伸ばさなきゃいかんというようなものがありますので、しかしいずれにせよ、30項目ぐらい重点施策を推進しておりまして、放課後児童クラブの平均月額利用料の提言など、23の指標が改善をしているということであります。

 この件は、やはりシングルマザーというようなこと等も絡んで参りますけれども、子どもたちが等しく教育の機会を含め、しっかり育つようにしないと、将来の沖縄を背負って立つ人材がそろう上に、いまこういうライフステージに そったものをやらなければ、今度は逆に、社会の足を引っ張ってしまうと、いうこともありますので、その意味からいうと大事にしっかりと、こういう方々を把握して、その人なりの努力で頑張っていけるようなものを支えてきたいと思っております。

 30項目くらいですね、この重点施策を推進しておりまして。放課後児童クラブの平均月額利用料の軽減などですね、23の指標が改善しているということがあります。でこの件はやはりまあシングルマザーというようなこととも絡むが、子どもたちが等しく教育の機会を受け、しっかりと育つようにしないと、将来の沖縄を背負って立つ人材が揃うように。いま子どもたちのライフステージに沿ったものをやらなければ、今度は逆に社会の足を引っ張ってしまうとこともありますので。大事にですね、しっかりとこういう方々を把握して、その人なりの努力で頑張っていけるようなものを支えていきたいと思います」

 ―基地問題です。事前の質問に追加するが、米軍ヘリの窓の落下事故に関して、事故後に普天間第二小だとか保育園に誹謗中傷が相次いでいる。この件をどう考えるか。

 「私もいろんな機会にいろんな有識者の皆さん方とも正式な会合ではないが、いろんな意見交換をします。日本全国からそういうヘイトスピーチも含め、フェイクニュース等々でですね。まあネット上で恐ろしい言葉が飛び交っていると。それはやはり弱者に向かっているような。基地問題だけでなく全ての問題でですが、そういった傾向が日本国全体でもありますし、どうやら米国はじめヨーロッパのところでもそういう社会情勢が出ているのかなと思います。

 その中で沖縄がやはりこの日本全国の中で、歴史的にも、特に米軍基地問題という意味ではですね。これはなかなか他の都道府県にはご理解のいただけない日米地位協定の最前線のですね、苦しみが分かってもらえない。基地と沖縄がどのように関わってきたかということについても、有名な作家でさえ普天間飛行場で飯食うために近くに寄ってきたんだろうと。自分たちで寄ってきておいて何を今さら危険だいうような話をしながらですね、やる大きな全国的なものがありますので。

 しかし県も本議会でもいろんな説明をしているが、QアンドAでね、沖縄のこれが間違っているという認識のね。これが7万部くらい。最初は4万(部)くらいだったんですがつくって、全国の図書館や国会議員にも発送して、またワシントンにも届けてやっている。それでも7万といってもほんの少しにしかならないので、頑張っていかないといけない。

 ですから保育所と小学校がですね、あのような形でもう目の前で落ちてきてですね、誰がどう見ても明らかなものにも「自作自演」というものが来ること自体が、今までにない社会現象です。これにどう対処していくかは、沖縄の問題だけでなく、全国で等しく考えていけるように私も私なりにしっかり対応していきたい」

 ―普天間第二小に関してはなぜそんなところに学校があるのか、という声があります。

 「先ほども少し触れたが、普天間飛行場の成り立ちが、沖縄の戦争の話からしないといけないので説明するのに時間がかかるんだが、唯一の地上戦ということで、20万人くらい亡くなって。たぶん13万人くらいは沖縄の人がなくなって。そして戦争が終わったら35万人くらい正確な数字ではないが、生き残った人は収容所に入れられて。半年から1年は収容所で過ごしたんですね。米軍がその時に普天間飛行場を含めて米軍基地を造っていった。よく本土と沖縄比べるときに向こうにも米軍基地あるという話をするが、本土の米軍基地は日本軍の基地をそのまま米軍が使っているのであって、沖縄では何もないところに基地がつくられた。

 ですから普天間の住民は帰ったらもう滑走路ができてしまっている訳ですから。自分の家は目の前の滑走路になってる訳ですから、そういったところで基本的にはそこら辺りに住むとういのは、おそらくその時代の人としても自分が住んでいたところ、そしてそこがどうなっていてもその近くに住みたいという気持ちはあったと思う。

 ましてや沖縄県全県がそういう状況だったから、古里の周辺に住むのは自然の流れだったと思う。なおかつ普天間には1万人の人が住んでいた。市役所も郵便局も学校もある場所だった。こういったことを踏まえると、「そんなところに学校を造っておまえ達が」という話になるとですね、これはもうヘイトスピーチをする人たちは、もともと権力もない人たちじゃないかなと思うんですが、むしろこういったことが国全体でできあがってきているのが心配だ。これから以降もこういうことがあったときに、これが現状として普天間で事件事故が起きながら、どんなに説明しても繰り返されるですね。あくなきヘイトスピーチ、あくなき差別がですね、こういったことが一向に改善されないような世の中になっている。政治を司る者としては一体全体どうしたらいいんだろうと、いつも胸に秘めながら考えているところです」

 ―辺野古の問題について。政府はことし4月に埋め立てに着手して、工事を着々と進めている。公約実現の可能性は。

 「私も知事になり3年。この当初半年間は、私が官邸に行って(政府首脳と)会おうとしても一切会えなかった。ですから話ができるようになったのは、西普天間の返還のときに菅官房長官が沖縄においでになったときにですね、初めて会って話をさせてもらった。あれからが意見交換のスタートだった。

  それから集中協議だとかいろんなものを経て、それから和解が出て、次の最高裁判決が出て、今日まで来ている。ですからこの2、3年の県民のいろんな沖縄への思いというものの表現と、私は行政を預かるものとして一定程度それなりにやってきた。それから選挙においてですね、名護市長選挙から始まりましたが、県知事選、衆院選、県議会議員選挙、参院選挙、そしてまた直近の衆院選と、全てに渡っていわゆる県が抱える「辺野古には基地を造らせない」という思いでやったのが当選されたんだと思っています。

 一方、チーム沖縄という保守系の首長さんが当選したのをオール沖縄が止めきれなかったという指摘があるが、これはいろいろ分析しないといけないが、例えばことし基地のあるうるま市、宜野湾市、浦添市で選挙がありました。それはどれだけの差で現職が勝ったかというと、浦添市は約1万票差で現職が勝っているんですね。それからうるま市が6千票差ですね。宜野湾市が5千票差で勝っている。

 しかしいま今回衆院選が行われた時に浦添市がどうなったかというと、全く1万票ひっくり返っているんですね。いわゆるオール沖縄が1万票勝っているんです。それから宜野湾市でもですね、やはり衆院選勝っている。うるま市でも7、8千くらい勝っている。ですから民意をどのようにとらえるかというのがありますが、県全体の選挙では「オール沖縄」が有利に進め、それから市町村長ということになると、そうでもないというのがありますが。私は県民が大変な思いでそれぞれの街作りと沖縄県の命運を視野に入れて政治を見ていると強く感じます。オール沖縄の試練はこれからも続くと言われているが、工事が遅れていることからすると、民意が生かされていると思う。これからも日本の中の地方自治や民主主義がしっかりと確保できるようにみんなで力を合わせれば可能性は大きくなると思います」

 ―ことしの3月に辺野古の埋め立て承認を撤回を必ずするといった。改めて確認するが、撤回はいつするのか。任期中や年度内などのめどはあるのか。

 「撤回は必ずやると言っているが、それは法的な観点からの検討を丁寧に行った上で対応する必要がある。それから現在、埋め立て承認に付した留意事項も、防衛局とやりとりしながら法的な観点、全体的な流れ、いろんなものがある。例えば今回行われた衆院選も全体的な流れの一つの出来事だと思う。これから以降も東アジアですね、それから日米関係、日中関係、これから以降も東アジア、日米関係、日中関係いろいろある中に沖縄の基地問題も位置づけられているという風に思っています。

 今日は名護の市民投票から20年の日だが、僕はモンデールさんもペリーさんも会ってきましたけど、モンデールさんも1時間ぐらい時間を割いて昨年の5月にあったが、モンデルさんもあれは米軍が強制的に取ったものだから申し訳ない、まだそんな風にあるのかと思うと残念だと、これは米軍がしっかりと対処すべきだとの話をしていた。これはそれぞれが取材でも確認しておりますんで。ことし9月にはペリー元国防長官が沖縄においでになった時にやはり1時間ぐらい話をした。辺野古はわれわれは辺野古でなくて良いよとある意味、強く言ったけれども日本政府が辺野古でなければダメだというところで、私も今知事の話を聞いて残念なことだと思っているというような話をしていた。

 ですから辺野古唯一というような日米間で大きく合意をして、そしてその中でこれを反したら大変なことになるということだけでなくて、やはりその過程の中で日本政府の方が辺野古唯一ということにこだわったという意味合いを私なりに展望ということで持っている訳ですが、推測にしかなりませんので推測の話はしませんけれども。そういった展望をもって辺野古が唯一、これがなきゃいかんという風にきたんだとおもいます。ですから、先ほど新興予算の件もありましたけれども、これまでの基地建設を止めるとしているけれども、今護岸工事が進んできているものもあります。そういったものすべてを僕は県民があるいは日本国民が、あるいはまた海外のメディアを通じての、特に身近な米国の方々がこれを直接見ていただく中でも物事が変わっていく要素は持っているのではないか、とこういう風に思っています」

 ―知事は常々あらゆる手法で辺野古移設を阻止するとおっしゃているが、撤回以外にはどのような手段を想定しているか。

 「今、差し止め訴訟をしているが、岩礁破砕については漁業権の問題など、水産庁は従来の見解をほごにして、そしてある意味ねじ曲げた中での状況が続いている。留意事項に基づく事前協議は、奥港の問題でもジュゴンとの関係で出てまいりますし、それ以降のいろんなものも出てまいります。これは従来から話をしている通りのとろこです。そういったことなどは今日常的に日本政府が着実に辺野古の基地を埋め立てているぞというようなものは、私どもの分析の中では32カ所くらい今では着手していなければいけないのですけれども、5カ所しか着手していない上にそれもまだ全部じゃないと。全部においては4%しか進んでいない。この米軍基地は5年、5年で10年でできるという話ですが、1兆円もかけてこれから作っていく間で、本当に県民を蹴散らせて10年間でできあがるか、ということになると私は日本の国の品格、民主主義は必ずまた日本国内でも政治家がいろいろな思いでやっていただけるものがあるんじゃないか。世界からもそういうものがあるのではないかというものも含めて全力を挙げて、新辺野古基地は作らせないということで頑張っていきたいなと思っています」

 ―知事はまだ後戻りできない状況ではないとおっしゃっている。今後、護岸が囲まれていけば土砂が投入されて来年にも文字通りの埋め立てが始まる訳ですが、それでもやはりそれは政府の既成事実だ、まだ後戻りできない状況ではないというお考えか。

 「そうですね。あれだけ圧倒的な権力とヘリで重機も市民の上から飛ばしてまで基地を造る(高江のヘリパッド建設)、いろんな圧倒的なものでやっているにも関わらずここまでしか進んでいないということです。ですから普通のものとは違って大義のないものは県民の心にずっと深い溝を作らざるを得ない。お互いの沖縄県は将来の子や孫がアジアに、世界に、世界のウ大会を見てもあれだけの人が7300人の人が沖縄に帰っていくように、対海外という意味では沖縄の持ち分は大変すばらしい可能性を感じていますからそういったいろんな出来事の中で、アジア経済戦略構想含め沖縄県が自立の道をたどっていく。そして将来はアジアの平和の緩衝地帯に沖縄がなっていくと。

 今のアジアのダイナミズムは中東やヨーロッパ、南米などに比べて平和というのが大きな発展の礎になっていますので、ここをこれからそういう形で平和な中でアジアが発展していくと沖縄はその輪の中で大きく発展していく。その大きく発展していく中での沖縄は米軍基地の問題は一体全体どうなるのかということは私からすると世界情勢はめまぐるしく変わってきますので、そういったことなども含めて県民は不屈の闘志で頑張っていくことが子どもたちにある意味夢と希望と自立の道を与えていくのではないか。その意味で今はそれぞれが踏ん張る時期ではないかとずっと県民にも申し上げているところです」

 ―撤回の話。最近市民から裁判に負けても知事を支えるので撤回してほしいという声が強くなっている。それを受けて撤回を決断する意志はあるか。

 「撤回とかそういうものの認識は私は十二分に持っているつもりなので、行政の長である私がいろいろなものを判断して時期も含めてやるということについては誰にも責任をおっかぶせて、あの人たちがこういったからこうしますというものではなく、私がそういった意見もしっかり聞いて、そしていろんな方々とご相談しながら私自身で決めていく」

 ―知事は移設反対の根拠として常々、地元の民意というのを掲げている。来年2月に名護市長選挙がある。移設に反対する稲嶺市長の勝敗いかんによっては知事自身ご進退はどうお考えか。

 「私の進退というのはそういう形で関わっていくということはないと思いますが、名護市長選挙はやはりどうしても勝たなきゃいかんという意味では、全力投球で私もご支援していきたいという風に思っています。稲嶺(進名護)市長のこんにちまでの街作りと新辺野古基地は作らせない、という両立した政治姿勢は大変沖縄県民にとって大きなものを残しつつ、これから切り開いていこうということであるので、ぜひともそれは当選を勝ちとっていきたい」

 ―今日(2017年12月21日)は普天間移設の海上ヘリポート建設の是非を問う名護市民投票から20年。名護市民投票では反対票が上回ったがその後、当時の市長が市民投票の結果に反して受け入れを表明して辞任した。あそこが現在の辺野古移設問題に続く混迷の始まりだと指摘する声もあるが、知事は市民投票についてどう受け止めているか。

 「流れからいうと、例の21年前に基地の賛成反対の住民投票があって反対が上回った。比嘉(鉄也)元(名護)市長がそれなりの思い、北部を開発するということで思いを込めて承認に回ったということがあらためてのスタートだったという風に思っています。そういうことが起きて、稲嶺さん(稲嶺恵一元知事)が当選した時に私はそのとき稲嶺(恵一)さんの側近として、高良倉吉さんや牧野浩隆さん、真栄城守定さん、そのときの保守としての対応の仕方として、沖の方に2000メートルの滑走路をつくって15年たったら民間に返してもらいたいというような15年問題をやりました。

 岸本(建男)名護市長もその意味では使用協定などいろんな条件をつけて実はあの辺野古を承認した。ところが残念ながらそれを橋本(龍太郎)内閣を受けた小渕(恵三)内閣で稲嶺さんの15年、岸本さんの使用協定などを守りましょうとの閣議がなされた。閣議がされたから基本的にはそこまでは稲嶺(恵一)さんと岸本さんの考え方は閣議の中で生かされた。こういうことでやっていこうと。 ところが再編協議の中で、まさしくそういった閣議で決めたことを、小泉(純一郎)内閣の閣議の時に全部葬り去って、新しいものを築き上げてきた訳だ。

 だからそれについては稲嶺(惠一)さんは今でも、わたしは承認をした覚えはないということなので、ほんとうにそれは大変残念な流れになってるなというふうに思っている。 だからこそ、菅(義偉官房長官)さんが、稲嶺(惠一)さんや岸本(建男名護市長)さんが辺野古を認めたのが原点だというんで、私はそれは原点じゃないと、原点は強制収用されたところから、この沖縄県民は一度たりとも基地を提供したことはないのに、それで基地ができあがったということそのものが原点ですよということになっての、いろんな言い合いをしてきたわけだ。

 そういう辺野古の移設案の流れだが、いまあなたの質問に答えてるかな? 重要なところが抜けてる感じがするが」

 ―市民投票そのものについてはどういうふうに今評価しているか。

 「市民投票そのものは大変意義があったと思うし、それから以降の沖縄の政治のものも、見通しを立ててもらっているというのがある。住民投票というのは、それも含めて全国でも住民投票があって、やはり住民投票の意義は大変あるということだ。 しかし、これは結果において、元市長がひっくり返したわけだから、こういったもの等を考えると、なかなか住民投票も、特に沖縄県の安全保障に関わるようなものに関しては、それ以外のときにもそうだが、民意というものがあれだけ沖縄県で表れても、一顧だにしない訳だから、よくぞそこまで無視ができるなというくらい、県知事選挙も、衆院選挙も、県会議員選挙も、参院選挙も、勝ってもなんにもそれについて、記憶に言及もないくらい。

 その代わり首長さんの選挙で勝つとオール沖縄が崩れたんじゃないかとかね、こういう話で物事を進めていく、大きな力に、さあ、住民投票のこともどういう形でこれが生きてくるかということも、しっかり議論をする中で、やっぱり県民が考えていくことじゃないかと思う」

 ―最後に選挙の話題にいきたい。来年2018年は沖縄にとっては選挙イヤーだ。2月の名護市長選や秋の那覇市長選以外にも、南城、石垣、沖縄、豊見城と各首長選挙が続く。知事に対抗するチーム沖縄勢が現職でいるが、これらの選挙に知事はどう関わっていくか。

 「私はもともと市会議員時代から、あらゆる選挙に関わってきた。(自民党)県連幹事長をしたときにも、責任を全うしたと思っているし、稲嶺(惠一)さんの知事選挙、仲井真(弘多)さんの2回の知事選挙、西銘(順志郎)さんの参議院選挙、島尻(安伊子)さんの参院選挙とやってきた。だから、私の今置かれている立場、そういった立場の中では、私は同調して一緒に頑張っていこうという立候補者がいられたら、もちろん向こうから頼む、と言われなければやらないが、一緒にやりましょうということであれば、喜んで全力投球してやっていきたいと思っている。

 ―知事選の時から保革を乗り越えてと言ってきたが、3年前の知事就任時とは状況が変わっているように思う。現在のオール沖縄を取り巻く環境はどう見ているか。

 「従来の自民党、公明党、共産党、社民党、社大党、民主党、そういったようなものでオール沖縄を意識した物言いが、枠組みが少し違ってきていると思う。東京要請行動では曲がりなりにも数カ月は沖縄県民が一つになったが、それから以降は、自民等県連さんは変わっていった。で、いろいろな選挙があって、首長選挙ではチーム沖縄が勝利し、県政全般にわたる選挙ではオール沖縄が勝ってきたということだ。 ただ、この1年のことをやっていて、私が10年前20年前の保守のど真ん中でやってる時と大変変わってきたことがある。それは今度の県議会の本会議でも自民党の質問の中に、日米地位協定、日米合同委員会の研究会を作らないと、この問題解決しないのではないかというようなものが発言として出てきて、私とすれば私も同じ気持ちだから、やっていきましょうねと。

 中間政党の方からもそういう(聞き取れず)。だからオール沖縄は組織的に二分されるというだけであって、私も腹八分、腹六部というからにも、ある意味では私自身もその思いで右から真ん中に来ているわけだが、革新の皆さんにしてもご承知の通りいろいろな考え方があるが、それをもって真ん中の方にきて、大きな輪を作る。この大きな輪を作るというだけでの切磋琢磨は私は保守側も革新の良さを取り入れてると思うし、革新も一緒にすることによってそれを取り入れてきているだろうと。 だからある意味では、まだ組織的にはご一緒にはできないけれども、考え方としては近づいてきたなというふうなものは持っている。 だから中央においても、今回のヘリコプターの窓が墜落したことを受けての、それぞれ閣僚とか自民党の代表する方々の党本部の関係の人に話を聞いても、大変今回はこれじゃあ日本は駄目になるんじゃないかと、いま一度その原点から考えてやるべきだ、という発言がぽんぽん出ている。 このぽんぽん出ているということ自体が、私は今日まで数年、こういったような形でやってきたようなものの、一つのまた影響が出ているのではないかなと。これは先々の、5年、10年後には必ず生きてくるような、そういったものがまた芽生えてきているのではないかと思っている」

 ―知事の任期が残り1年を切った。あらためて翁長知事が知事になった目的を聞きたい。知事そのもの、知事になることが目的なのか、建白書の実現というようなものが目的なのか。

 「本も出しているので、同じような話になるが、小さいころから沖縄県が自ら持ってきた訳でもない基地を挟んで、基地だ、経済だといって、平和だといって、県民同士が恐ろしいエネルギーでぶつかり合ってきたのを見てきたから、なんとかそれを乗り越えていきたいというのがあった。ただ、時代背景が許さないような部分があったが、この20年間は、その前の20年間に比べると、この20年はだいぶ変わったと思う。 ソビエトがロシアに変わり、それから55年体制が崩れ、中国があれだけの経済をもって大国になっている。こういったものでも変わってくるわけだから、変わってくるものの中で、さあ沖縄県どうすべきかという時に、日米安保体制だけで米軍基地を置いて、なおかつ保守革新だと分かれていたのでは、私は、沖縄県の子や孫に申し訳ないなと。

 その時代背景の呼び方が当たっているかどうか分からないが、今こそ腹八分腹六部で沖縄の政治が一定程度まとまるんであれば、基地問題に限らず、アジア経済戦略構想を含めて、世界のウチナーンチュのあのパワーを取り入れるという意味でも、今はそのいい時期ではないかなと思って、微力ではあるが、私がそれに少し貢献できないかなということで知事になったということだ」

 ―その思いは今も変わらないか。

 「はい、変わらないですね」

 ―来年秋には知事選が行われる。2期目への意欲は。出馬意向は。

 「先ほど来、工事も進んでるがなんだとあるように、一日一日、一生懸命、一日を百点満点で過ごすように今頑張っているところで、先を見通して、私の行く末というようなことよりは、この沖縄にとって何ができるかというようなものを個人で少しずつでも積み上げていって、積み上げる中から、中身(聞き取れず)あればそれでいいし、これはまた県民が考えることにするので、私がまだ来年どうするかというものについては、とても考えの及ばないところで一生懸命頑張っているところだ」

 ―考え及ばないということだが、それでもいつごろまでに判断をやるのか。

 「いやー、それも、一つ一つ積み上げていって、いつどうなるかというようなものに、節目節目、県内にもあるだろうし、全国的にもあるだろうし、世界という意味でも出てくると思うので、こういったこと等も見据えながら、とにかく全力投球で与えられた。あと1年あるから、頑張っていきたいと思う」

 ―撤回の時期について言及がなかった。「撤回は必ずやる」と言ってて、いま2期目は一日ずつということだが、2期目に出るか出ないかまだ決めていない中で「必ずやる」ということは、今の任期中にやらないとおかしくなるのではないかと。であれば、任期中に撤回するというふうに理解したが。

 「そういうのを含めて十二分にあり得る訳で、とにかく沖縄県にとってこんな巨大な権力相手に闘っている中で、どういうふうに結論を出すかということについては、本当に明日かもしれないし、3カ月後かもしれないし、6カ月後かもしれないという。そういったことを思いながら、来年任期をまたぐかということは基本的にはまだ考えていない。 だから、その意味では、任期中にそれは考えるということになろうかと思う」(おわり)