犠牲数刻銘実現を 摩文仁「全学徒隊の碑」 一中二〇会・宮城会長ら 県要請へ組織化呼び掛け


この記事を書いた人 大森 茂夫
全学徒隊組織結成の趣意書を手に、組織への参加を呼び掛ける一中二〇会の宮城政三郎会長=12月、那覇市

 沖縄戦で県内21の師範学校、中等学校などの学徒が戦場に駆り出された事実を後世に伝える「全学徒隊の碑」を巡り、県立第一中学校に在籍していた元学徒らでつくる一中二〇会会長の宮城政三郎さん(89)は、犠牲者数の刻銘を県に要請するため、全ての元学徒らによる組織をつくろうと呼び掛けている。

 碑は昨年3月、糸満市摩文仁の平和祈念公園内に建立された。男子学徒は14歳、女子学徒は15歳から動員されたことや21の学校名が記されているが、犠牲者数は記されていない。宮城さんは「犠牲になった人の数を目で見れば、当時の中学生でさえこれだけ動員され、亡くなったのかと、悲惨さの実感が湧いてくる」と刻銘の必要性を訴えた。

 今年3月には組織の結成に向けた集会を開き、4月中の結成を目指す。元学徒ら戦争体験者が高齢化し少なくなる中、呼び掛け人を集めるのも難しい状況だといい、宮城さんは賛同してくれる元学徒などからの連絡を待っている。

 宮城さんは1944年8月、県立一中4年生の時、両親のいた台湾に疎開し、現地の高雄州立高雄第一中学校に編入した。45年3月、16歳で現地の日本軍に動員され、台湾の山中で壕掘りなどに当たった。米軍の空爆は激しく、周りにいた同級生15人ほどが皆、亡くなったのを目の当たりにした。県立一中では、沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員された学徒や教職員ら307人が戦死した。

 宮城さんは戦後、学問の機会や命を奪われた戦争の実相を伝えることが「生き残った者の責務」との信念で刻銘碑の建設に力を注いできた。「一つの学校で300人以上も亡くなったのかと分かれば悲惨さが伝わる」と、新たに建立された「全学徒の碑」への戦死者数の刻銘にも強い思い入れを抱く。

 県の平和援護・男女参画課の大浜靖課長は「数字を裏付ける資料が残っていない。旧開南中など全滅し、何人亡くなったか分からない学校もある。数字の根拠を示すのが難しい」とし、学校名の刻銘が限界という考えを示した。宮城さんや元白梅学徒の中山きくさん(89)は県による再調査の実施と刻銘を求めている。

 現在、宮城さんは呼び掛け人を集めており、「元学徒で、集会の趣旨に賛同し、呼び掛け人として列記できる人は、養秀同窓会事務局に名前と学校名を伝えてほしい」としている。

 養秀同窓会事務局は(電話)098(885)6437。呼び掛け人代表は与座章健、中山きく、吉川初枝、上原はつ子、宮平盛彦(敬称略)。
(中村万里子)