日米高官、過去にも失言 ヘリ墜落時「米兵功績」「操縦士が上手」


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 米軍機の事故やトラブルが発生した後、沖縄県民の不安を逆なでするような米軍や日本政府の高官の発言は、過去にも繰り返されてきた。2004年8月13日に沖縄国際大学へ米軍ヘリが墜落して13日後の26日、日本記者クラブで講演したトーマス・ワスコー在日米軍司令官(当時)は操縦した米兵の判断で、けが人を出さなかったとして「功績があった」と発言した。

 ワスコー氏はさらに「乗員は墜落すると分かった段階で、被害を最小限にしようと努力した。3人の乗員が制御不能な状況下で、人のいないところに(ヘリを)もっていったという素晴らしい功績があったことを申し上げたい」と述べた。

 2カ月後の04年10月16日、町村信孝外相(当時)は沖国大の米軍ヘリ墜落現場を視察し「操縦士が上手だったこともあって重大な被害が出なかった」「事故を機に学生が勉強をさぼったりしないように」と発言した。町村氏は自らの発言を「不適切だったかもしれない」と認めた。

 16年12月13日に名護市安部へオスプレイが墜落したことを受け、翌14日に抗議した安慶田光男副知事(当時)に対し、在沖米軍のローレンス・ニコルソン四軍調整官は「住宅や県民に被害を与えなかったことは感謝されるべきだ」と述べ、県の抗議に不快感を示した。