沖縄県、世持橋の復元検討 1661年架橋、沖縄戦で破壊 地元の要望強く


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 沖縄県土木建築部は現在、県道29号龍潭(りゅうたん)線(首里山川町―汀良町)の改良工事に伴い、戦前に龍潭の池畔に架かっていた世持橋(よもちばし)の高欄を復元する方向で進めている。世持橋は、第一尚氏王統の菩提(ぼだい)寺とされる慈恩(じおん)寺跡から1661年に移されたが、1945年の沖縄戦により破壊された。県土建部は現在、復元の際に必要な費用や時期について検討中で、高欄が復元すれば、歴史ある首里の町並みにまた一つ彩りが加わることになりそうだ。

 龍潭線が99年に事業化された時点では、世持橋高欄の復元は予定されていなかった。その後、龍潭通り沿線地区が2002年12月に那覇市の景観形成地域に指定されたことで、世持橋を再現する計画が持ち上がった。

 沖縄戦で破壊された世持橋は現在、1956年に県指定有形文化財に指定された「世持橋勾欄羽目(こうらんはめ)」と支柱の一部のみが残っているだけで、羽目は県立博物館に所蔵されている。高欄が復元する方向について那覇市の都市計画課は「今でも地元からの要望は強い」と話した。

 龍潭線は2020年度までに、拡幅工事により歩道や停車帯を確保する予定だが、県道路街路課は「世持橋高欄の復元時期については検討中」と述べた。

 高欄復元の予定場所付近では17年12月に、明治時代以前の琉球王国時代に造成されたとみられる「首里当蔵旧水路」の遺構が発掘された。