社会

43年ブラジル・サントス強制退去 県系375家族が受難 松林さん名簿発見

松林要樹さんが見つけた強制立ち退きの被害にあった日系人らの名簿。名字から沖縄姓が多いことが読み取れる

 第2次世界大戦中の1943年、日本やドイツなど、南米ブラジルに移り住んだ枢軸国民らが強制退去させられた「サントス事件」で、対象となった日系585家族のうち、少なくても約6割に上る県系375家族が被害を受けていたことがこのほど分かった。太平洋戦争や原発事故などをテーマにしたドキュメンタリー映画で知られる松林要樹(ようじゅ)さん(39)=西原町=が現地で名簿を発見し、ブラジル沖縄県人移民研究塾の協力で名簿に記載された戸主名や住所などから判明した。


 松林さんは現在、ブラジル県系社会の撮影を続けている。「ブラジルで強制立ち退きがあったことはあまり知られていない。日系人がその迫害の歴史をなぜ広く残さなかったのか迫りたい」と話し、映画製作へ意気込んでいる。

 1908年、日本から初めての移民船が入港したサントス。その後も沿岸一帯に多くの県人が移り住んだ。しかし日本が戦争に突き進むとブラジルでも日系人への締め付けが厳しくなり、日本語の使用や新聞の発行は禁止され、抑留や強制退去が行われた。サントス事件が起きたのは43年7月8日。突然の退去命令で、サントスの日系人は着の身着のままサンパウロ市の移民収容所などに収容され、財産を没収された。

 2016年8月、松林さんはサントスの旧日本人学校(現在の日本人会館)で約25ページに及ぶ名簿を偶然見つけた。事件当時、日本人学校の教頭だった長野県出身の故柳澤秋雄さんが作成したと見られる。

 ブラジル沖縄県人移民研究塾の宮城あきらさん(80)=サントアンドレ在住=は名簿を「第一級の歴史資料」と評価する。名簿の存在は知られておらず、体験者は口を閉ざしてきた。同研究塾は県系人一人一人の聞き取りを始め、昨年10月発行した移民誌「群星(むりぶし)」に名簿と数人の証言を掲載した。戦時下の苦しみ、戦後を生き抜いた先人への感謝を込め、事件への関心や究明を呼び掛ける。

 松林さんは、3月中旬から再びブラジルで撮影を始め、移民110周年となる今年中の映画の完成を目指す。
(中村万里子)

 ■サントス事件■ 1943年7月8日、サントス港沖でドイツの潜水艦がブラジルやアメリカの貨物船5隻を撃沈したことを受け、ブラジル政府が日本やドイツ、イタリアなど敵対する枢軸国民をサントス市から24時間以内に強制的に退去させた。日系人らは武装兵の監視の下、サンパウロ市の移民収容所に収容されるなどした。1945年8月以降、ブラジル政府はサントスに戻ることを許可したが、家や畑、商店や工場などは没収され破壊されていたという。