畳一筋25年 業界けん引 中部たたみ店・新城さん マイスター認定、若手を育成


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針を使って畳べりを縫い付ける新城忍さん=13日、沖縄市松本の中部たたみ店

 【沖縄】豪快かつ滑らかな手つきで、一針一針を正確に畳へ通していく―。沖縄市松本の中部たたみ店代表の新城忍さん(41)は、次代の沖縄の畳業界を引っ張る匠(たくみ)の一人だ。畳職人だった父・喜一さん(故人)を手伝っていた学生時代を含め、この道25年余。2016年度には、要件年齢に達していなかったが、畳製作では県内3人目となる全国技能士会連合会(東京)の「全技連マイスター」に特例で認定された。

 本格的に畳職人としての道を歩み始めたのは、北谷高校を卒業した1年後。喜一さんが立ち上げた新城畳店(市南桃原)に正式に弟子入りし、腕を磨いた。その後、03年に中部たたみ店を設立し独立。翌年には20代後半という若さで畳製作1級技能士を取得した。今は自身を含め、4人の職人で運営する。

 順調に見える職人人生だが、独立当初は苦労の連続だった。バブル崩壊後の住宅需要の落ち込みや洋式の住空間の普及で畳需要が減り、当時の1枚の粗利は全盛期であるバブル期の半分程に落ち込んでいた。生活は苦しかった。

手作業にこだわる新城さんが使用する畳製作専用の道具

 それでも持ち前の負けず嫌いな性格を支えに、さらに研さんを重ね、時間が空けば自作のチラシを手に一軒一軒を回り、畳を売り込んだ。「始めの1年半は全く休みがなく、毎日夜9~10時まで働いた」

 努力の結果、少しずつ知名度が上がり、仕事が増えた。県畳工業組合(那覇市)の益田伸次理事長(68)も「多くの工程を手作業でできる職人は少ないし、その技術はすぐに県知事賞が取れるほど高い」と太鼓判を押す。

 若くして組合の専務理事を務め、技能士の指導員としても8年目になる新城さん。業界を60~70代の職人が支える中、若手をけん引する存在として周囲の期待もある。「畳の良さを知ってもらい、職人がちゃんとした給与をもらえる業界にする必要がある。畳屋になりたいと思う人を増やしたい」と熱い思いを語った。
(長嶺真輝)