「兄戻ってきたよう」 摩文仁で発見の遺留筆箱 上間さん遺族へ


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筆箱を国吉勇さん(右)から受け取る上間昇さん=3日、那覇市

 沖縄戦犠牲者の遺骨・遺品の収集活動をしていた国吉勇さん(79)=那覇市=が、1999年に糸満市摩文仁で発見した「上間正男」と記名された筆箱について、持ち主の遺族が3日までに見つかった。3日、国吉さんの自宅で、上間正男さん(享年16)の弟、昇さん(86)=北谷町=に筆箱が手渡された。昇さんは「この字は兄の字に違いない。兄が戻ってきたようで感無量だ」と筆箱を握り締めた。

 正男さんは県立第二中学校に通い、二中通信隊の暗号班の学徒兵として沖縄戦に動員された。45年6月ごろ、摩文仁で亡くなったと昇さんはみている。

 正男さんと昇さんはフィリピンで生まれ、2人は小学生のころに祖父母と共に沖縄に戻って北谷町で暮らしていた。

 上間正男さん

 慶良間諸島に米軍が上陸した45年3月下旬ごろ、部隊に入隊していた昇さんが一度家に帰った。

 「おじい、おばあをよろしく」。北谷町の家から学徒隊の集合場所となっている北中城村に2人で向かう道すがら、一緒に住む祖父母を気に掛けた言葉が正男さんの最後の言葉だった。その後、正男さんは南部へ向かい、帰らぬ人となった。

 昇さんは祖父母と墓に隠れ、本島上陸後の米軍に保護された。

 筆箱を受け取った昇さんは国吉さんに「本当にありがとう」と深く感謝した。さらに「お互いこの世を生き延びてきたから、これからも頑張ろう」と手を握った。

 昇さんは帰宅後、筆箱を仏壇の前に供えた。しかし、正男さんの遺骨は見つかっていない。「遺品も見つからない人が多い中、戻ってきた筆箱は家宝だ。子どもたちに戦争を伝える機会にもしたい」と目をうるませた。

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