「歴史を伝える担い手に」 チビチリガマ慰霊祭 ガマ損壊した少年らから謝罪文 


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チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=7日午後1時28分、沖縄県読谷村波平のチビチリガマ(代表撮影)

 【読谷】沖縄戦で住民83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村のチビチリガマで7日午後、遺族会による慰霊祭が開かれた。遺族や関係者約30人が訪れ、ガマの中で手を合わせた。

 昨年9月に本島中部に住む16歳~19歳の少年4人がガマを荒らしてから初めての慰霊祭。遺族会の与那覇徳雄会長が少年たちからの謝罪文を読み上げた。参加者は悲惨な沖縄戦の実相を伝え、平和な世の中をつくることを誓った。

 チビチリガマは読谷村波平にある自然壕で、沖縄戦時は周辺の住民約140人が避難していた。米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月1日の翌日、皇民化教育などの影響から住民は米軍の投降に応じず、互いが殺し合う「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた。

 ガマを荒らした少年たちからの謝罪文には「本当に申し訳ございません。きっちり反省します」などの謝罪と悔い、反省の言葉がつづられていた。

 与那覇会長は「少年たちが歴史を伝える担い手になると思う。彼らを温かく見守ってほしい」と語った。【琉球新報電子版】