中城御殿跡 石積み2種 1600~1700年代建造か


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中城御殿後(首里高内)発掘調査で見つかった石積みに触れる説明会参加者ら=14日、那覇市首里の首里高校

 那覇市首里真和志町の首里高校敷地内にあった中城御殿(うどぅん)跡地から、年代の異なる2種類の石積みが見つかった。特に1700年代に造られたとみられる大小の石灰岩を積み重ねた石積みについて、県立埋蔵文化財センター(埋文センター)の調査担当亀島慎吾さん(29)は「石の積み方がこれまで例が少なく、かなり珍しい。当時の技術力の高さがうかがえる」と述べた。

 中城御殿は琉球王国の次期国王となる王位継承者が暮らした邸宅で、1600年代前半に建てられた。その後1875年に首里高敷地から、龍潭向かいの県立博物館跡地に移転した。

 埋文センターが14日に首里高で開いた現地説明会で亀島主任は、1700年代に描かれた首里古地図にある中城御殿を示し「実際は古地図で屋敷内部が描かれている部分に石積みがあった。また、ウミイシとヤマイシという大小白と黄色の石灰岩を使い、アーチ状にも見える」と説明した。当時の職人がデザインとして積んだ可能性を示唆した。

 この石積みより古い1600年代の別の石積みも見つかり、中城御殿の敷地の範囲が浮かび上がってきた。小さな石材が敷き詰められた一角も見つかり「屋敷内部の歩道の役割を持つ石積みだったのではないか」との見方を示した。

 現地では中国、ベトナム、日本本土製の茶わんや急須なども出土している。

 愛知県名古屋市から説明会に訪れた辻田麻紀さん(53)は「人が描いた地図とは異なり、掘ってみて初めて確認できるというところにミステリーがある。今後が楽しみ」と話した。

 現地説明会はこの日3回に分けて行われ、計120人が訪れた。今回の発掘部分は今後埋め戻され、隣接地で引き続き調査が行われる。