精神障がい者「私宅監置」解消へ活動 当事者と家族を地域で支え 


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巡回診療の拠点となった那覇保健所久米島支所跡で当時を語る宮里恵美子さん。英語表記の看板に米軍統治の痕跡が残る=久米島町

 精神障がい者を民家裏の小屋や座敷牢に隔離した私宅監置。多くは語られなかった歴史を記録し、見つめ直そうと写真展「闇から光へ」が17日、沖縄県那覇市の県立博物館・美術館で始まる。主催する県精神保健福祉会連合会(沖福連)などの関係者が14、15の両日、久米島を訪れ、当事者と家族を地域で支えようと先駆的に取り組んだ元保健師、宮里恵美子さん(73)と地域を回った。「本人だけでなく家族を支える地域、社会が不可欠」との訴えは現在にも重く響く。

 復帰前、沖縄は戦争で社会インフラが破壊され、米軍統治下で法律や制度の整備が遅れた。病院は足りず医療保険制度もなかった。治療を受けられないまま状態が悪化する精神障がい者もいた。狭い空間に閉じ込められ「動物以下の扱い」ともいわれる状況下。私宅監置に人間として尊重されるはずの尊厳はなく、日本本土では1950年に禁止されたが、県内では日本復帰まで容認され、市町村が監置所を設置することもあった。

 久米島は地域医療のモデル地区として71年、那覇から派遣された精神科医師らの巡回診療が始まった。巡回は年に3回、1回4日間。医師が不在の間は、宮里さんら保健師が患者の自宅を一軒ずつ毎日のように訪問した。話を聞き身の回りの世話を手伝って患者や家族と関係を築き、治療を支えた。

 「『暴れて手に負えず閉じ込めた』と座敷牢やコンクリートの小屋に20年も入れられていた人もいたが、治療を始めれば落ち着いて普通に家族と過ごせるようになった」と宮里さん。生活が落ち着けば、社会復帰のため家族、地域も巻き込んでソフトボールなどのスポーツや畑作業もできるようになった。これらの活動は79年、県内初の家族会「あけぼの会」の誕生につながった。

 宮里さんは「監置した親も、本当に子どもをいとおしんでいる。何年もたってからそれを知ったこともある」と経験を語った。沖福連の高橋年男事務局長は「心の病にかかった人を『野放しにするな』と排除する社会的圧力は今もある。過去を学び、当事者と家族を支えられる地域、社会にならなければ」と話し、写真展への来場を呼び掛けた。