孔子廟は「宗教的な施設」判決 歴史家、哲学家の見方は?


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 那覇市の松山公園内に設置された久米至聖廟(孔子廟)の公園使用料免除の適否が争われた訴訟の判決で、那覇地裁は13日、久米至聖廟を宗教的な施設と判断した。市を訴えた女性側は「孔子廟が宗教的なのは否定できない」と判決を評価した。一方で琉球史の専門家は歴史的背景を踏まえ「施設は文化的側面が大きい」と困惑。哲学の専門家は「別の判決も出せる可能性がある」と判断の難しさなどを指摘した。

那覇地裁に「宗教的な性格を有する」と判断された久米至聖廟=那覇市久米

 久米至聖廟は儒学の祖である孔子やその門弟が祭られ、正殿や琉球で最初の公立学校とされる「明倫堂」などで構成される。14世紀に中国福建省などから琉球に渡来し、琉球王朝の繁栄を支えた久米三十六姓が17世紀に久米村で廟を建立したのが始まり。18世紀には明倫堂が建設され、儒学教育が行われた。

 しかし至聖廟は沖縄戦で焼失。戦後は1975年ごろ、那覇市若狭の久米崇聖会所有地に再建され、2013年に久米地域にある松山公園に移転した。今でも地域に向けて論語の講座などが開かれている。

 琉球史が専門の田名真之県立博物館・美術館長は、これらの経緯から「中国の文化を沖縄に定着させた久米村の歴史自体が沖縄の歴史や文化と捉えられる」と指摘する。

 判決は、孔子の生誕を祝う釋奠祭禮(せきてんさいれい)について「神格化した孔子をあがめる宗教的意義を有する儀式」と指摘した。田名館長は「宗教的装いがあると言われたらそうとも言えるが、久米村の祖先の儀式を改めて行うもので歴史の継承でもある」との認識を示す。「戦争で失われた儀式を戦後取り返した文化的な活動でもある。文化的な側面をもっと重視してほしかった」と話した。

 一方、原告代理人の徳永信一弁護士は「公有地で中国の祭事が儒教という形で行われているのは疑問だ」と指摘し、孔子を祭る儀礼が宗教的と問題にした訴訟の意義を強調した。

 ただ判決は孔子廟での儀礼なども宗教的と評したが、儒教が宗教とは判断していない。専門家らによると、儒学は日本で学問として扱われてきた経緯がある。哲学が専門の寺石悦章琉大教授は、儒教の宗教性については研究者でも議論はあるとした上で「祖先崇拝は儒教の習慣だが、日本に渡る時、この習慣は仏教に吸収された。儒教は学問の儒学として日本に広まった」と説明した。

 寺石教授は、宗教の概念について「儀式や儀礼は全て宗教と言える」とした上で「平和祈念公園も慰霊する施設。しかし宗教とはみなされない」と指摘。久米至聖廟の儀礼について「尊敬、崇拝のレベルがどの程度か。一般的に奇跡を起こせると信じられているのか。観光施設とも言える中、別の論旨を立てれば違った判決になり得るだろう」と分析した。

(謝花史哲、田吹遥子)