豊見城高校や沖縄水産高校などで監督を務め、高校野球の名将として全国でも知られる沖縄県糸満市出身の栽弘義さん(2007年死去)が練習や試合時に記していた手帳が初めて公開される。笑顔でも「笑ったシーサー」と冷やかされたり、黙すれば「策士の古タヌキ」ともやゆされたりした栽さん。試合中、ベンチでは褒めることはほとんどなかったというが「(新里)紹也は指示通り右打ち」「大野(倫)は打ち気を外してナイスピッチング」などと選手個々の様子をしっかり見守り、「カーブの後は直球」「インコースのシュートがないので右狙いが容易」など相手投手の分析も詳しく記していた。どのような心情で指示を送り、勝利へ向けて戦ってきたのかが垣間見える貴重な資料となっている。
栽さんの手帳は沖縄水産高校時代の1990年と91年のものでB5判6冊。2年連続で夏の全国選手権大会で準優勝を飾り、甲子園を沸かせた時のものだ。高校野球100回記念として県立博物館・美術館が6月5日から行う企画展に向け、長女の蔵当志織さんが貸し出した。
90年夏の甲子園決勝は最終回の攻撃、左翼への大飛球でゲームセットとなり、天理(奈良)に0―1で惜敗した。相手左翼手の守備位置が話題となったが、手帳を見ると、栽さん自身が試合前に「風が左から右へ」、「深く守る」と逆に自らの守りの面で注意していた様子も分かる。また「皆、いい顔をしている」「勝利は我等にある」「相手はひるんだぞ」など、栽さんがその場で感じた言葉も記されており、試合の流れを敏感に感じていたことが伝わる。
いつも持ち歩き、選手たちにとっても走り書きする様子が気になっていたというノート。2度の準優勝を経験した大野倫さん(45)=うるま市=は「現役中は、のぞいたこともあるが、読み取れなかった。企画展前に初めて手帳の中身を拝見した。試合中の良い点、悪い点を細かくまとめている」とする。自身が今、中学硬式野球の指導者となっている点を踏まえ「試合中はベンチでにこにこだけしていた。胸の内を文字で記すことで冷静さを保っていたのだろう。客観的に試合を見ていたことが分かる。指導者として今でも手本にしたい内容だ」と感心した。
(屋嘉部長将)
◆きょう関連講座 手帳の内容紹介/県立博物館・美術館
栽弘義さんの手帳は12日午後2時から那覇市の県立博物館・美術館で行う博物館文化講座「沖縄・高校野球ネバーエンディングストーリー~熱闘 本気の夏 100回目~」の中でも内容が紹介される。6月5日からは同館で企画展「熱闘 高校野球 本気の夏 100回目」が始まり、栽さんの手帳のほかにも首里高校甲子園初出場時の日の丸への寄せ書きや興南、沖縄尚学の優勝旗レプリカ、甲子園出場高校のユニホームや写真などの資料が展示される。