保健室、心安らぐ場所に “かつての私”支える


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卒業生の女子生徒と談笑する平良瑠夏さん=1日午後、那覇市立高良小学校

 大人たちに叱られてばかりで、学校が大嫌いだった。非行に走った時期もあるが、信頼できる教員と出会い「こんな先生になりたい」と夢を抱いた。2年前から沖縄県那覇市立高良小で養護教諭として働く平良瑠夏さん(30)は「子どもの可能性は無限大。時間はかかっても絶対に立ち直れる」と、自身の経験を糧に教育現場で奮闘している。

 1日、保健室のドアを控えめにノックする音。平良さんが返事をすると、制服姿の男子生徒(13)と母親が入ってきた。卒業生という生徒は照れくさそうに「最近は学校行ってます」と報告した。平良さんは満面の笑みで「偉い!」とほめる。その20分後、今度は卒業した女子生徒(13)がやって来た。「元気だった?」と声を掛けるとうなずき「瑠夏先生が一番心配しているはずと思って来た」。平良さんは生徒を強く抱きしめた。

 小学生の時に両親が離婚。母と妹と3人で暮らした。飲食店に勤務していた母は、平良さんの登校時は寝ていることが多く、朝食はない。「言うことを聞かない」と、母から手を上げられたり、無視されたり。今振り返ると「母も10代で出産して頼れる人がおらず、どう育てていいか悩んだんだろう」と感じる。当時は学校も家も居心地が悪く、似たような境遇の友人と深夜徘徊(はいかい)を繰り返した。

 転機は高校3年。離れて暮らす父が亡くなり、進路で悩んだ時に先生たちが支えてくれた。信頼できる大人の姿に、自らも教員を志すように。進学すると、発達心理学を学んだ。子どもたちの「問題行動」の裏にはそれぞれの事情があり、ただ叱るのではなく背景を読み取るべきだと感じるようになった。「悪い子なんていない。みんないとおしい」

 2016年10月、高良小に着任した。保健室にはさまざまな児童がやって来る。暴言を吐く子、暴れる子。かつての自分と重なり、児童の気持ちが理解できる。「信用できるか試そうとしているな」「全力で信頼してくれているな」―。苦しかった過去も無駄ではないと思える。

 養護教諭を「天職」と語る平良さん。「問題児だった私が、頼れる人との出会いで自分の力を発揮できる場所を見つけられた」と力説する。教室がつらい子でも保健室では安心してほしいと、みんなをありのまま受け入れるよう心掛ける。「子どもたちが笑顔で健康に過ごせる日々」を願い、これからも一人一人を大切に支援し続けていく。
 (前森智香子)