沖縄戦当時4歳だった真栄田宗健さん(78)=那覇市=がこのほど、兄3人の証言や資料などを基に家族10人の戦争体験をまとめた冊子「戦禍の我が家族の逃避記録」を作成し、家族や親戚に配布した。家族10人のうち、父や姉、妹2人の計4人が戦争で命を落とした真栄田家。普段は話す機会のほとんどない戦争体験を冊子にまとめておくことで、子や孫に伝えていく。身近な家族、親せきの戦争体験を次世代へ継承する手法の例として注目される。
家族の戦争体験記録を冊子にまとめたのは、宗健さんが真栄田家の家系図を作成するため、歴史をたどる作業を始めたことがきっかけ。戦争体験者が高齢化し証言できる人が少なくなる中、真栄田家の戦争体験を今のうちに記録し、子孫へ伝える目的で約1年かけて4月に完成させた。
戦前、那覇市上之屋に家族10人で住んでいた真栄田さん一家は、沖縄戦を前に父の宗敬さんが日本軍の防衛隊として那覇市首里へ召集され、長男の宗一さんは兵庫県尼崎の軍需工場へそれぞれ動員された。
1945年4月に米軍が読谷村に上陸する中、母のスエさんは五男・宗健さんを含むきょうだい7人を連れて南下し、本島南部の激戦地を転々とした。6月に入ってからは姉妹3人が相次いで犠牲に。当時14歳の長女・豊子さんは艦砲射撃の破片が当たり、数日後に亡くなった。3歳の次女・和子さん、1歳の三女・幸子さんは栄養失調で息絶えた。
当時4歳でほとんど記憶がない五男・宗健さんは、戦時下の状況を覚えている次男・宗英さん(85)=当時12歳、三男・宗達さん(83)=同10歳、四男・宗吉さん(80)=同7歳=の兄3人に戦争体験を聞き取った。戦場での足跡を記した地図や、家族の動きを盛り込んだ戦争中の年表、戦前・戦中の写真も掲載した。
宗健さんは家族の戦争体験について「次世代に残したい。若い子や孫は今は分からないかもしれないが、60代、70代になってからでも感じ取ってほしい」と思いを込めた。戦争体験継承の手法の一つとして「他の皆さんも家族で聞き取りをして伝えていただけたらと思う」と呼び掛けた。
(古堅一樹)