「北大東の燐鉱山」重文景観 文化審議会答申 「弁之御嶽」は国史跡


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県内初の重要文化的景観に選定された「北大東島の燐鉱山由来の文化的景観」。手前の施設跡、現在の民家などを含む一帯が指定地となる(北大東村教育委員会提供)

 国の文化審議会(佐藤信会長)は15日、那覇市の「弁之御嶽(びんぬうたき)」を史跡に指定し、北大東村の「北大東島の燐鉱山(りんこうやま)由来の文化的景観」を重要文化的景観に選定することを文部科学大臣に答申した。重要文化的景観は沖縄県内初で、国史跡は41件目。

 史跡と名勝の各1件で追加指定もあった。すでに史跡指定されている斎場御嶽(せいふぁうたき)(南城市)は、御嶽に通じる古い参道の石畳や参詣前に身を清めたウローカー(井戸)、日本軍の砲台などを含む隣接地域を史跡に追加指定した。

 琉球開闢(かいびゃく)神話にまつわる各地の御嶽として名勝指定されている「アマミクヌムイ(アマミクの杜) 今鬼神(なきじん)ノカナヒヤフ(テンチジアマチジ)及びこはおの御嶽(クバの御嶽)久高コハウ森(むい)(久高のフボー御嶽)」に、「斎場嶽(せいふぁたき)(斎場御嶽)」、「ゑぞゑぞのいしぐすく・金(かな)ぐすく(伊祖グスク)」(浦添市)、今回史跡に指定された「弁之御嶽」の3カ所が追加指定された。またこれら全体を指す指定名称を「アマミクヌムイ」と変更した。

 「弁之御嶽」は首里城の東にある弁ヶ嶽(べんがだけ)と呼ばれる標高166メートルの丘。琉球王国の国家祭祀(さいし)の聖域と位置付けられ、拝所や石門が作られた。「琉球の祭祀のあり方や歴史的変遷を理解する上で重要」とされた。

 北大東島には、大正時代から終戦直後にかけて島の産業を支えたリン鉱石採掘に関わる生産施設が残っている。一部は住宅や民宿として現在も利用され、独特の景観を呈する。「リン鉱採掘の歴史やその後の産業変遷を知る上で重要」と評価された。

那覇市の「弁之御嶽」。写真は、東西に走る道路北側にある大嶽で、森全体が指定地域となる(那覇市提供)

◆那覇 弁之御嶽(国史跡) 「聖地の歴史評価」
 弁之御嶽(びんぬうたき)は、那覇市首里の標高165・6メートルの丘陵にある。琉球王国時代に国家祭祀の聖域として位置づけられ、国王自らの参拝が行われた拝所の一つ。「弁ヶ嶽(べんがだけ)」の呼称で広く知られ、今でも全県から多くの人が拝みに訪れる。

 御嶽は北側の大嶽(うふたき)と南側の小嶽(こたき)に分かれており、1519年に石門を建て、1543年に参道を石敷道に改修した。小嶽の御願所そばには斎場御嶽の遥拝所がある。

 鳥堀町自治会が定期的に、草刈り活動などをしている。同自治会の當間正之会長は「弁ヶ岳は鳥堀の誇り。(国史跡の指定は)めでたいこと」と喜ぶ。城間幹子那覇市長も指定を歓迎し「聖地としての歴史性を評価して頂いた」と話した。

参道沿いにあり、参詣時の清めに使われた(南城市教育委員会提供)

◆南城 ウローカー及び御門口に至る参道(国史跡) 「待ち望んでいた」
 【南城】南城市の「ウローカー及び御門口(うじょうぐち)に至る参道」を国の史跡として追加登録するよう答申されたことに、関係者は「待ち望んでいた」「斎場御嶽(せーふぁうたき)全体の保全につながる」と喜んだ。

 ウローカー(ウロー泉)は琉球王国時代、斎場御嶽に入る前に身を清める場所だった。斎場御嶽は1972年5月に国の史跡文化財に指定されたが、ウローカーは含まれていなかった。

 瑞慶覧長敏市長は「素晴らしいことだ。南城市の魅力がまた一つ認められた。観光だけではなく、子どもたちの歴史教育の材料としても活用していきたい」と喜びを語った。市教育委員会は「(史跡登録を)待ち望んでいた。先に世界遺産に登録された斎場御嶽と合わせて、御嶽全体の保全により力を入れていきたい」と話した。

◆北大東村港区(重要文化的景観) 「県内初うれしい」
 【北大東】独特の景観が残る北大東村港区が県内初の重要文化的景観に選定されたことを受け、村内から喜びの声が上がった。

 宮城光正村長は「先人たちが大変な苦難を乗り越えて島を切り開いた。港区は島の歴史を語る上で重要な地域で、県内初の選定をうれしく思う。村民も誇りに思っている」と喜ぶ。今後については「価値を再認識し、後世に歴史を正しく伝えるエリアとして保全・再生し、観光振興にも活用したい」と語った。

 村教育委員会では選定を機に、子どもたちが島に誇りを持てるよう、島の歴史をしっかり伝えていく考えだ。

 15歳から4年ほど燐鉱山(りんこうやま)で働いた経験があり、現在は燐鉱山の案内をする元教育長の沖山昇さん(87)は「他にはない、日本で大事なものだとあらためて思った。これからも燐鉱山で島の素晴らしさをPRしていきたい」と喜びを語った。