沖縄・糸満「赤心之塔」 大田さん一家しのぶ 有志引き継ぎ慰霊祭


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
大田トシさん一家5人に祈りを捧げる金光教那覇教会の林雅信さん=19日、糸満市伊原の赤心之塔

 【糸満】沖縄県糸満市の第三外科壕に米軍のガス弾が投げ込まれた1945年6月19日に、ひめゆり学徒らと共に犠牲となった民間人の大田さん一家をしのぶ慰霊祭が19日、同市伊原の「赤心之塔」で開かれた。塔はひめゆり平和祈念資料館の入り口近くにある。金光教那覇教会の林雅信さん(78)ら遺骨収集を実施しているボランティアや、南風原町の子ども平和学習のOBら有志が、静かに手を合わせた。

 壕は戦時中、住民の避難場所だったが、日本軍が住民に立ち退きを命じ、沖縄陸軍病院第三外科として使われるようになった。しかし、大田トシさんは子どもが幼かったために家族と壕に残ることが許された。

 45年6月19日の攻撃で9歳の義雄君、5歳の繁子ちゃん、3歳の貞雄ちゃんの3人のきょうだいと、義母の大田ナハさんが亡くなり、たまたま壕を離れていたトシさんだけが助かった。トシさんの夫の一雄さんも防衛隊員として戦死した。赤心之塔には大田さん一家の5人の名前が刻まれている。

 25年前から慰霊祭が行われ、95年にトシさんが亡くなってからは、有志が引き継いでいる。

 林さんは「トシさんはずっと『どうしてあの時、子どもと離れてしまったのか』と苦しんでいた。一度戦争があると、戦後は永遠に続いてしまう。決して同じことを繰り返してはいけない」と語った。