社会

県人捕虜のハワイ移送、捕虜増え収容所の環境悪化懸念が理由 米軍文書で判明

ハワイ捕虜の移送について記されていた米軍文書

 沖縄戦で3600人余の県人捕虜がハワイに送られた理由として、捕虜の増加による沖縄内の収容所の環境悪化を米軍が懸念していたことが背景にあったことが、1945年5月27日付の米軍文書で分かった。県人捕虜のハワイ移送の理由を示す初資料だ。米軍は沖縄戦の激化に伴い収容所の環境悪化を避けるため県人捕虜をハワイに移送した可能性が高い。同年5月13日付文書は「捕虜を(ハワイの)オアフ島に移送する」と記している。沖縄戦研究の中でハワイ捕虜の実態は未解明な点が多い。特に移送の理由は体験者にとっても最大の謎だった。

 米公文書や資料は元琉球大教授の保坂廣志氏が米国立公文書館や県公文書館で収集した。公衆衛生に関する別の米文書(作成日時不明)で、県系人捕虜の第1陣約2千人が6月13日、オアフ島へ到着したことも分かった。

 捕虜の抑留期間は最長で約1年6カ月に及んだ。沖縄からハワイ司令部に宛てた46年1月17日付の文書には、沖縄の困窮と住居や食糧不足の問題を挙げ「帰還の受け入れは不可能だ」と記していた。

 45年5月27日付文書は第10軍情報部戦闘情報収集課(CICA)、ジョージ・J・クラーク中佐が作成した部隊間文書。日本軍が沖縄で召集した防衛隊の取り扱いについて記録している。

 文書では防衛隊員を捕虜としてハワイに移送するため、軍人と民間人のいずれに該当するのか軍内部の速やかな決定を求めていた。「捕虜収容所は手狭になることが予想され、状態はさらに悪化することは間違いないだろう。(防衛隊問題の決定を)速やかに行うべきだ」と記している。「CICAは防衛隊員200人に完璧な尋問をしている。転送する準備や他への配置も準備が整っている」と続けた。

 45年5月13日付文書は戦史班として沖縄戦に従軍したジョン・スチーブンス少佐の「沖縄日記」。機密扱いの私文書として保管されていた。

 ハワイに移送された県人捕虜に関する研究事例は少ない。具体的な日時などの多くは、これまで体験者の証言に頼っていた。保坂氏は「県人のハワイ移送は、米軍収容所の管理運営上の都合から発生したと考えるのが妥当だ。『情報提供者としての価値がない』との見方もあっただろう」と分析した。 (島袋貞治、当銘千絵)