国民学校歌、懐かし 小禄第一・第二 「語る会」が旋律再現


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 記憶の中だけに眠るメロディーを記録し、次世代へ―。那覇市小禄地域の歴史と文化を学び調査する「うるくの歴史と文化を語る会」がこのほど、沖縄戦で破壊された小禄第一国民学校と小禄第二国民学校の校歌のメロディーを卒業生が歌う歌を基に再現した。5日の総会記念で卒業生ら4人と会員が披露。当時を懐かしがり、記録する大切さを共有した。

 小禄第一国民学校は1880年に設立。県内で最初のレンガ造りの学校となる。那覇市當間と赤嶺に校舎を移転したころから通称で「当間学校」と呼ばれていた。小禄第二国民学校は当間学校からの分離で金城に設立され「金城学校」と呼ばれた。両校とも沖縄戦で破壊され、米軍に占領された。戦後、当間学校は別の場所で高良小学校となったが、戦前の両校の記録や資料は焼失し、ほとんど無くなった。

 「語る会」の幹事で大学非常勤講師の長嶺弘善さん(66)が両校の調査や資料収集に奔走した。「学校が無くなってしまったが通っていた人はいる。きちんと記録を残したい」と思いを語る。同会の会員で県立芸大付属研究所研究員の平良徹也さんは、地域の字史や教育史で両校の校歌の歌詞を見つけ、卒業生などから曲の聞き取りを始めた。卒業生が歌ったメロディーを弘善さんの妻・和子さん(68)が譜面に起こした。2013年に当間学校、14年に金城学校について調べ始め、18年2月までに両校の記録を会報にまとめた。

 5日の総会には卒業生ら4人が参加。和子さんがキーボードで奏でる旋律を頼りに、参加者は少しずつ思い出しながら歌をつないだ。長嶺操さん(87)は国民学校3年生のころまで週1回の音楽の授業や運動会で校歌を歌った。しかし、戦況が悪化すると軍歌を歌う機会が増えた。「歌っていたら音楽の先生を思い出した。きびきびした人だった」と目を細めた。

 弘善さんは校歌の聞き取りをした4~5年前よりも覚えている人が少なくなっていることに危機感を覚えるといい、「今が記録するぎりぎりの時。しっかり残したい」と決意を込めた。

国民学校時代の校歌を歌った卒業生ら=5日、那覇市田原のJAおきなわ小禄支店ホール
沖縄初の赤レンガ造りだった小禄第一国民学校の校舎(うるくの歴史と文化を語る会提供)