【島人の目】ポーランドで会った女子大生


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 緑豊かなポーランドの6月は、のどかで国の豊かさを感じる。人々もゆったりと流れる川のように穏やかだ。戦火や悲惨な歴史の変化は旅行者の目に映りがたい。

 ポーランドの京都と言われているクラクフの旧市街は世界遺産に指定され、近郊には岩塩抗、アウシュビッツ強制収容所のほか2カ所の世界遺産があり、ヤギェウォ大学はコペルニクスが学んだという。奥深い歴史の街だ。

 ドミニカさんは大学で日本語を学んで3年目というがその流暢な会話に驚かない日本人は少なくないだろう。彼女はクラクフ市で日本人向けに観光ガイドのアルバイトをしている。「今日が初めてなんです。至らぬところがあるかと思いますがよろしくお願いします」とにこやかに語る。

 ドミニカさんの卒論の研究テーマは、日本の小学校1年生の国語の教科書に関する論文だそうだ。アルバイトの際も「1年生のこくご」の教科書をバッグに忍ばせる熱心さ。

 「はじめまして」「いいえ、那覇で一度お会いしました」と話すクララ・シュミッツさんのしなやかな日本語にもどきり。クラクフでの夕食パーティー会場でのことだった。ドイツ人の彼女はドイツのテュービンゲン大学で学び、粟国島と那覇に精通している。ケルンの日本文化会館で沖縄を知り、初めて島を訪問したのが2014年という。上品な日本語に知性が漂う。彼女は卒論の最終段階だそうだ。

 卒論は日本語の翻訳で、テーマが珍しく問いただす人は少なくないだろう。東京の蒲田付近は1950年代後半でものりの養殖が盛んであった。この養殖に使われる船の作り方・船大工に関する書物の翻訳だそうだ。

 日本から遠い国で女子大生が日本について熱心に研究している姿が忘れがたいポーランドの旅となった。
 (比嘉良治、ニューヨーク通信員)