【名護】渡具知武豊名護市長が就任して8日で半年になる。就任後、渡具知氏は首相官邸に数回出向くなどして、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事を進める安倍政権と足並みをそろえる。一方、辺野古移設への是非を明確にせず、現時点で負担軽減の条件を政府に提示していない。過去4代の市長が明らかにしてきた移設への姿勢と、渡具知氏の発言を振り返る。
渡具知氏は移設工事に関し「容認でも反対でもない」と強調するが、工事を進める安倍政権とのパイプは市長選期間中から太く、「事実上の容認」と指摘されている。一方、今後増加するとみられる基地負担については「増えないことが望ましい」と述べるにとどめている。辺野古移設に協力姿勢を示したことで得られる再編交付金について「政府が交付を決めた。(基地の)見返りではない」と主張する。
辺野古移設を容認した過去3代の市長は、辺野古移設を受け入れる代わりに、政府に対し条件を提示してきた。1997年12月、名護市民投票で移設反対が過半数を占めた3日後、当時の市長の比嘉鉄也氏は、基地受け入れと辞意を表明した。「いろいろな北部振興策が必要だった。10年間の振興策を閣議決定させた」と当時の胸中を語っている。政府は北部12市町村を対象に10年間で788億6800万円の「北部振興事業」を設け、国立沖縄工業高等専門学校や名桜大などが整備された。
後継の岸本建男氏は15年の使用期限を付けた7条件を提示。条件を満たされなければ「移設容認を撤回する」と強調した。その後、日米両政府は2005年に辺野古沿岸部移設で合意。岸本氏は「集落に近過ぎる」として沿岸案に反対したまま、市長退任後の06年に死去した。岸本氏の後に就いた島袋吉和氏は沿岸部移設を受け入れ、滑走路の修正案を求めた。国は新たに再編交付金を交付した。その後の稲嶺進氏は「基地に頼らないまちづくり」を強調し、反対姿勢を貫いた。それに伴い、政府は再編交付金をゼロにした。
今後、移設工事が進み、運用が始まれば、名護市民の負担が増えることに不安も聞かれる。辺野古区は「条件付き容認」の立場で個別補償を求めており、現職の渡具知氏に対し「政府に条件を求めるべきだ」と主張する区民もいる。このような声を踏まえ、渡具知氏が今後、市民、政府とどのように向き合っていくかが注目される。
(阪口彩子)