13日に行われた沖縄県知事の翁長雄志さんの葬儀・告別式は県内外から4500人余が参列した。政治や経済、市民団体、労働組合、米軍関係者ら多様な立場の人々が訪れた。予定していた午後4時半を過ぎても参列者の列が途切れず、約30分延長して対応した。病と闘いながらも、最後まで米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設の阻止の公約実現へ向け、信念を揺るがすことなく力を尽くした翁長さんに、参列者たちは保守、革新といった立場を超えて敬意を表し別れを惜しんだ。
関係者によると、祭壇に掲げられた翁長さんの遺影は、2014年の知事選の際に撮影した写真。当初は別の写真が候補に挙がっていたが「最後は政治家らしく」との遺族の思いもあり、変更されたという。遺影に写る翁長さんは、緑を基調にしたかりゆしウエアを着用し、満面の笑顔を浮かべていた。
弔辞を読んだ元県知事の稲嶺恵一さんは、遺影の翁長さんの顔を見上げ「改めてにこやかなご遺影を見ると、ありし日のあなたを見ている気がして胸がいっぱいになる」と漏らした。
父・助静さんは真和志村長、兄・助裕さんは副知事や県議を務める政治家一家に育った翁長さん。弔辞で稲嶺さんは、保革を超えて沖縄の過重な基地負担軽減を訴える姿勢について、「米統治時代、プライス勧告など不当な要求に断固として抵抗してきた父上、助静さんの姿と重なって見える」と翁長家の系譜に触れた。
翁長さん同様、知事として基地問題に対応してきた立場から、稲嶺さんは「県民が一つになることが重要で、私たちに残された大きな課題だ」と話し、翁長さんの遺志を受けて県民が団結する必要性を指摘した。
葬儀後の告別式は、雨が降ったり、晴れ間が見えたりと変わりやすい天気の中で続々と参列者が訪れ、ハンカチで目頭を押さえる人もいた。並んでから焼香までに約50分かかる時間帯もあった。焼香の時間には翁長さんが好きだった石原裕次郎さんの曲も流した。
告別式後、位牌(いはい)を持つ妻の樹子さんを先頭に翁長さんの遺骨を納めた箱を持つ長男の雄一郎さん、長女の志織さん、次男の雄治さん、次女の志野さんが式場の外で待つ参列者に姿を見せ、深々と頭を下げた。樹子さんは参列者に加えて報道陣側へも一礼して車へ乗り込んだ。
車が出る際には参列者から「翁長さん、お疲れさまでした」「ありがとうございました」との声が上がった。車が出た直後に急な雨が降り参列者からは「空も泣いているみたいだ」「みんなの涙のようだ」などの声も聞かれた。