教育

不登校は不幸じゃない 子どもの自殺防止へ当事者ら報告

夏休み明けを前に開かれた「#不登校は不幸じゃない」イベント。県内でも元当事者や親が体験を語った=19日、那覇市のにじの森文庫

 夏休み明けに多発する子どもの自殺を防ごうと「#不登校は不幸じゃない」と掲げた催しが19日、全国100カ所で同時開催された。沖縄県内では那覇市の子ども図書館「にじの森文庫」で開かれ、社会人として活躍する元不登校者やその親ら5人が「学校に行かないのは選択肢の一つ。苦しむ必要はない」「つらくなったらいつでもここに来て」と呼び掛けた。当初の定員20人を大幅に上回る当事者や家族が申し込み、うなずいたり涙をぬぐったりしながら耳を傾けた。登壇者の発言を紹介する。

<元不登校者>

◇目標見つけ、自信に/盛島楓さん(サロンモデル)

 学級のムードメーカーだったが小学3年でいじめに遭い、中学2年の途中まで学校に行けなくなった。その間の記憶はほぼない。「なぜ行かないの」と言う先生が怖くて引きこもった。近所の友達が誘いに来てくれたが、外に出るのは好きじゃなかった。

 好きなお菓子作りを学ぼうと高校を目指した。勉強していなかったので大変だったが、できないところから学べる塾に通い成績が上がった。休まず行けた高校で始めたバンド活動では、練習した分、自信が付き、人前が怖くなくなった。

 卒業後は東京の美容専門学校で学び、自信のない人が自信を付けられるようなメークをしたいと沖縄に戻った。

 将来に目を向けるようになって、夢のために学校に行く、そのために点数を取る、と逆算して勉強するようになった。目標があれば向かって行ける。好きなことが見つかるよう、周囲が支えてくれたらいい。

◇「道」はたくさんある/親川政明さん(日本パーソナルビジネス協代表理事)

 小学1年で不登校になったのは、けがで入院中、看護師に勉強を教えてもらい、復学すると自分の方が進んでいて、学校に行く意義を感じなくなったから。でも学校に行かないと白眼視される。大人になっていいことがあると思えず、毎日死にたいと思っていた。中学、高校も入学したが「学校行ってなかったんだって」と言われ「普通の子」との壁を感じ、行かなくなった。

 高校中退後、カラオケ店で働き、社会の仕組みが分かり、生きていけると分かった。自分で自分を雇おうと26歳で起業し、41歳の今は二つの会社を経営し、コンサルタントもしている。

 学校教育は画一的な人を育てるためのもの。学校に行かなくても食べる道はたくさんある。未来に不安を感じる前に睡眠や食事を改善して健康になり、生き延びるすべを見つけて。

◇笑顔と健康が大切/志堅原京子さん(ピラティスインストラクター)

 小学校3年生のころから7年間、学校に行こうとすると吐き続ける日が1週間続き、8日目に重湯が飲めるようになって学校に行こうとするとまた吐くことの繰り返し。地獄のような毎日だった。30年前で不登校の理解も知識もなく、親と多くの病院を回って検査をし、ユタや宗教にも行ったが、原因は今も分からない。

 最初は学校に行かそうと頑張った母も、私の体が弱ってきたのを見て「生きていたらいい」と思うようになり、それから私の表情が変わったと言っていた。

 中3の2学期で急に吐くのが止まり、泊高校を卒業し、沖縄国際大に進んだ。学費が払えず泣く泣く中退したが、働いて海外に出て、IT企業に11年間勤め一流大学出の人と肩を並べて仕事もした。

 人はいつからでも何でもできる。私には母の支えが大きかった。大切なのは毎日を笑顔で健康に過ごすこと。心の中に生きる力が育まれれば、学校に行かなくても生きていける。

<家族>

◇子を信じ、待つだけ/伊志嶺幸美さん(にじの森文庫館長)

 中2の息子が小5の時、登校渋りになった。「でーじなとん」と最初はバトルだった。でも不登校の理由は分からず、本人が選んでいるからでしかない。

 子育てのゴールは子どもが自分で生きること。彼は釣りが好きで、同世代から60代まで釣り仲間がいて、自分で釣ってさばいて料理して食べ「野宿してくる」と出ることもあった。彼は自分で生きていける。親にできることはいつでも戻れるよう、困ったときには助けられるよう信じて待つだけ。息子は「友達とは好きなことが違うだけ。学校に行かなくてもいい」と自分のスタイルを持っている。彼が私を導いてくれた。

 学校は授業の間は「子どもを外に出さないで」と言う。でも子どもが子どもらしく生きるには太陽の下で活動しなければ。自分の子でなくても、権利を守り、育ってもらいたい。つらい子はここに来てほしい。

◇学歴より、生きる力/盛島美奈子さん(ヨガインストラクター)

 娘の楓(かえで)はいじめがきっかけで不登校になった。娘は怖くて行けないのに、学校には「なぜ来ない」と言われる。学校に行けない子を育てたと負い目を感じた。

 本人の気持ちより「周りのことを考えて」と協調性を重視し、厳しく育てすぎたかもしれない。「頑張れ、負けるな」と車で連れて行ったこともある。私もいじめに遭って頑張った経験があり、同じように求める気持ちもあった。かわいそうなことをした。

 ある日、娘が表情のない顔をしているのに気付き「やばい、死んじゃう」と思った。どうしたら希望を持って生き続けられるかと考え、身近な大人である自分が楽しそうになろうと言葉や行動を変え、我慢していた趣味も始めた。すると子どもへの言葉も変わった。悩みはあるが子どもも大きくなると力を付ける。学歴がなくても生きる力があれば生きていける。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

子の居場所提供/那覇市の「にじの森文庫」

 「にじの森文庫」では、絵本や児童書、歴史漫画などを取りそろえ、子どもたちがゆったりと過ごせる空間を整えている。住所は那覇市松川275の4、スイートハウス1階。開所は水曜の午後3~6時、土曜の午前10時~午後6時だが「必要ならいつでも電話して」と伊志嶺幸美館長。連絡先は(電話)070(4402)9201。