83歳ドラマー、世替わり刻み 金城吉雄さん 沖縄ジャズ界のパイオニア


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力強くドラムをたたく金城吉雄さん=8月26日、浦添市

 「OK、ワン、ツー、スリー、フォー」。張りのある掛け声で総勢17人のビッグバンド「Y・Kシンギン・オーケストラ」を束ねるのは、83歳の現役ジャズドラマー金城吉雄さん=豊見城市。1954年、高校3年生でドラムと出合った。以来60年余にわたり、この道一筋。沖縄ジャズ界の第一線を走り続けてきた。

 幼少の頃から音楽に関心があり、那覇高校で吹奏楽部へ入部した。初めはバンドの花形トランペットの担当だったが、上級生に才能を見いだされドラムに移行した。

 「寝ても覚めても音楽のことばかり考えていた」高校3年時には、他の部員と6人組のバンドを結成し、学業の傍らナイトクラブやキャバレーで演奏に明け暮れる日々を送っていた。ちょうどこの時期にスカウトされ、「クレイジー&クール」という正式なバンドを結成。音楽で食べていく道を選んだ。

 本土復帰までは米軍基地内のクラブでもたびたび演奏した。特にベトナム戦争真っただ中の60年代は、ライカム将校クラブや辺野古、金武などあちこちから引っ張りだこで、ダンスホールで兵隊と女性たちが踊るための音楽を奏でた。

那覇高3年の時、クラブやキャバレーで演奏していた金城吉雄さん(中央奥)=1954年、那覇市の大宝館(本人提供)

 「私たちは、いつ召集されるか分からない兵隊をリラックスさせるために弾いていたんだと思う。給料も普通のサラリーマンの約3倍はもらっていた」と振り返る。

 復帰後は沖縄交響楽団や伊波智恵子の楽曲に加わった。79年には友寄隆生カルテットとして、沖縄初のジャズのLPレコード「DAHNAH」の制作に携わったほか、2008年には自身が顧問を務める沖縄ジャズ協会初のCD「ウチナーJAZZ!」にも参加。米国で生まれたジャズの新しい可能性を沖縄から追求した。

 現在は15年に自ら立ち上げ、定期的にコンサートを開く「Y・Kシンギン・オーケストラ」で腕を磨き続け、若手の育成にも力を入れる。

 進化する沖縄のジャズシーンを見続けて来た金城さん。時代とともにリズムを刻んだ両手を見詰め、「ジャズしか知らない人生だから、命尽きるまで続けたいね」と穏やかに笑った。

 (当銘千絵)