〈特別評論〉新知事に玉城デニー氏 次は本土が答え出す番


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速報を手に喜ぶ玉城デニー氏=30日、那覇市古島の教育福祉会館

 翁長雄志知事の遺志を引き継ぐと訴えた玉城デニー氏が沖縄県知事に当選した。当選に喜ぶ玉城氏の姿を見ながら、11年前のことを思い出していた。沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に関する教科書の記述で軍の関与を削る検定に反対する県民大会のことだ。大会前には不覚にも県民の反発の強さを読み切れず、大会当日に世代を超えて集まった大勢の人々の姿を目の当たりにし、沖縄戦の歴史認識が県民の意識の底流に連綿と引き継がれていることに気付かされた。そのときと似たような感覚を、玉城氏を選んだ県民の判断でまた思い知らされた。

 その11年前の県民大会の壇上にいた一人が翁長雄志氏(当時那覇市長)だった。玉城氏を選んだ県民の多くは、道半ばで亡くなった翁長知事の姿を玉城氏に重ね、絶たれかけた思いを託して投票したに違いない。玉城氏自身も演説の中で「翁長氏の遺志を継ぐ」と繰り返し口にすることで、自身の意識も大きく変革していったように見えた。

 一方で、玉城氏が選ばれたのは単に翁長氏の後継という意味合い以上に、その出自がゆえに、戦後の沖縄が置かれてきた歴史を象徴する存在として県知事に選ばれた意義も大きい。

 玉城氏は米海兵隊員とウチナーンチュとの間に生まれ、マイノリティー(少数派)としていじめられ、差別も受けてきた。今回の選挙ではネットを中心にすさまじい誹謗(ひぼう)にもさらされた。中には「ハーフ」だとして、玉城氏の出自をネタにいたぶるものもあった。

 玉城氏の育った環境を考えると、自分たちのことを自分たちで決めることができなかった米施政権下の“オキナワ”を体現する存在でもある。それは、全国でも最悪の子どもの貧困率を生み出した源流とも不可分の問題だ。その玉城氏が、これから日本復帰50年の大きな節目を迎える沖縄県の知事として、教育・福祉などの課題に対して、どのような未来を描いていくのか、そのかじ取りは内外から注目されている。

 玉城氏は普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対を表明し、絶対阻止を掲げている。基地の受け入れと引き換えにした交付金の在り方にもノーを表明した。「自分たちのことは自分たちで決める」とも訴えた。今回の知事選の結果は改めて辺野古移設反対の根強い民意を内外に見せつけるものだ。それでも政府は選挙が終わると、建設強行に向け、ただちに法的措置を取ってくるだろう。

 選挙戦のさなか、東京都小金井市議会が、米軍普天間飛行場の県外・国外移設を国民全体で議論し、代替施設が必要なら全国を等しく候補地にして議論することを求める陳情を採択した。さらに県外では、沖縄への基地の偏在が、本土側による無意識の差別の結果だとして、沖縄の米軍基地を引き取る運動も広がりを見せつつある。

 沖縄は改めて、新基地建設と基地と経済のリンクに「ノー」の答えを出した。この沖縄の判断を受けて、次は本土側が答えを出す番だ。
(滝本匠、知事選取材班班長)