9日に那覇市の沖縄県立武道館で営まれた前県知事の翁長雄志さんの県民葬。会場に詰め掛けた約3千人の参列者は、辺野古新基地建設に命を懸けて反対し続けた翁長さんをたたえ、感謝した。玉城デニー知事の式辞や友人らの追悼の辞では、思わず涙を拭う参列者も多く、「本当に大きな存在を失った」と悲痛の表情を見せた。「イデオロギーよりアイデンティティー」と訴え、新基地建設阻止に向け県民の心を一つにしようとした翁長さんの遺志を継ぐ決意を参列者は新たにした。
「さり、やっちーさい(お兄さん)」。黙とう後の式辞で玉城知事は遺影を見上げ、翁長さんも大事にしたしまくとぅばで親しみを込めて呼び掛け、最後にこう語った。
「うまんちゅぬちゃーが、ちばとーみしぇーるしがた、みーまんとーてぃ、くぃみそーり(万人が頑張っている姿を見守ってください)」
深く一礼し、新知事として託された新基地建設阻止などの使命を全うすることを固く誓った。
祭壇の大きな遺影は、政府と対峙(たいじ)し沖縄の過重な基地負担軽減を訴えてきた険しい表情の翁長さんではなく、優しい笑顔を浮かべていた。沖縄の美ら海をイメージした青や白の花で囲まれていた。
翁長さんの訃報を知らせる国内外の新聞記事や8月の県民大会で身に着けるはずだった帽子、弔問の記録なども祭壇に並んだ。
友人代表の「金秀グループ」会長の呉屋守将さん(70)は追悼の辞で「辺野古新基地を巡る心労が体をむしばんでいったと思うと申し訳なく、もっと支えられなかったのかという念にとらわれる」と声を震わせた。参列者からはおえつやすすり泣く声が漏れた。
遺族を代表して長男雄一郎さん(36)は「家族には常々、人生に悔いは無いと言い続けていた」と明かし「生涯を悔いなく走り続けて来れたのは父と関わった全ての皆さまのおかげ」と深く感謝した。
会場となった県立武道館は1階席、2階席ともに満席で、立って式辞や追悼の辞を聞く参列者も多かった。
会場に入りきれない参列者は会場の外側に設置されたテント内の大型テレビ画面を通して式の様子を見守った。翁長さんをしのぶ映像が流れると、拍手が湧き起こり別れを惜しんだ。
涙を拭いながら式辞や追悼の辞を聞いた琉球大学の上間陽子教授は「暴風が吹く中、命を削って沖縄の風かたか(風よけ)になってくれた方だったと改めて感じた」と冥福を祈った。
◆「翁長さん ありがとう」 親子連れや若者も参列
県民葬には子育て世代や高校生など若い世代の姿もあった。「沖縄のために頑張ってくれた。ありがとう」。辺野古新基地建設を拒否し続けた翁長雄志さんの姿勢をたたえ、死を悼んだ。
主婦の森かずみさん(37)=那覇市=は「沖縄のために頑張った翁長さんにお別れを言おうね」と娘の朱里ちゃん(3)と参列した。「亡くなったことを知ったときは悔しかった。翁長さんの遺志を継いで辺野古の新基地建設を止めるためにできることをしたい」とぎゅっと子を抱きながら涙を浮かべて語った。
両親と参列した首里高3年の知念海さん(17)=那覇市=は「対立する日本政府と命懸けで闘った翁長さんは偉大だと思う」と話す。小学生の頃から辺野古を訪れることがあったという。「学生が辺野古に行く機会がほしい。うわさに左右されず自分の目で見て判断できる人になりたい」と真剣なまなざしを向けた。
目に浮かぶ涙を拭いながら、3歳の息子を抱きしめていたのは、仲里真実さん(36)=浦添市。「沖縄の人のために頑張ってくれた翁長さんに、直接お礼が言いたかった。息子の記憶には残らないかもしれないが、沖縄の人のために頑張った知事がいたことを覚えていてほしいと思い、連れてきた」と語った。