告示日の14日、那覇市牧志の選挙事務所で開かれた出陣式で、翁長政俊さん(69)が真っ先に訴えたのは政治姿勢だった。「市民党として頑張っていきたい」。言葉に翁長さんの幼少期の経験、政治家としての原点が凝縮されていた。
石垣市生まれ。7歳で父親を亡くし、中学1年生の時に家族で那覇へ引っ越した。母子家庭で育った生活は苦しく、5人きょうだいの末っ子だった翁長さんを、姉たちが母親代わりとなって支えた。
浦添高校を卒業後、東京の大学に進学する夢を持っていたが、20歳の時に母親が急逝した。夢を諦め切れず、姉たちが授業料を工面して進学できたものの、生活費を捻出するためにアルバイトに明け暮れた。
政治家を志したのは苦学の末に卒業した後だった。脳性まひで生まれた姉の息子が施設に入ることができず、苦労しながら子育てをしていた。翁長さんが市役所に粘り強く掛け合い、なんとか施設に預けることができた。
その体験を「困っている人をどう助けるのか。政治の力があれば、市民生活を変えることができると肌で感じた」と振り返る。弱い立場の人に寄り添い、少しでも生活を向上させたいという姿勢は、30年余の政治キャリアで、翁長さんの活動の中心にある。今回の選挙でも子育てや高齢者政策を打ち出し、市政刷新を市民に訴えている。
2度の落選を経て、市議選の初当選を勝ち取った1985年以来、市議を2期、県議を5期務めた。那覇市の収入役も歴任し、自民党県連内部からは「ミスター那覇」とも称される。政府にも豊富な人脈を築き、政策の実現力や実行力を磨いた。
テレビ番組を見て涙を流すなど、家族の前では人情味あふれる一面を見せる。政治家になる前から、妻として翁長さんを支えてきた越子さん(68)は「家ではのんびりして、仕事の話はしない。誤解を受けることもあるかもしれないけれど、基本的には優しい人ですよ」と語る。
17日、那覇市内で街頭演説を終えた翁長さんに障がいを持った女性が近づいた。演説時の厳しい表情を緩ませた翁長さん。そっと手を握り「ありがとうね」と女性の目を見詰めた。
(’18那覇市長選取材班・池田哲平)