16日、市場で支持を呼び掛けた城間幹子さん(67)。握手した女性と手をつないだまま訴えに耳を傾けていた。子ども政策で行政的な支援を求めた女性に、城間さんはうなずきながら「どうにかできないか考えますね」。寸暇を惜しんで一人一人と向き合う。「人材が全てに共通する財産」。城間さんの歩みが市政運営の源になった。
伊是名村で生まれた。幼少時代に那覇市に移り住み、小中高と市内で育った。市松川の実家は地域の人、郷友会などさまざま人が集まり、にぎやかだった。人とつながる環境がすぐそばにあった。人の心の動きに関心を持ち、「揺れながらも心が大きく成長する時期の子どもに関わりたい」と中学校教師を目指した。受験の前年に父が逝去。県外の大学に行くため、母が働いて学費を工面した。城間さんも進学後はアルバイトをしながら苦学を乗り越えた。
約30年の教員時代にはさまざまな出会いがあった。朝ご飯を食べて来られない生徒、経済的な理由で希望する進学先を諦める生徒、身体的な性別と心の性別が異なる生徒。保護者との関わりでもさまざまな生き方を「追体験した」。自身はシングルマザーとして2人の娘を育て上げた。親族と支え合いながらの子育て。2人とも希望の進路に進学させた。「人を育てることが豊かな社会をつくること」。多様な生き方や悩みを肌で感じ、その思いを強くした。
「生徒たちの花道に送られて教員生活を終えよう」と思っていたが2009年、当時市長だった故翁長雄志さんから、市教育委員会の学校教育部長にと声が掛かった。中高校時代の同級生でもある翁長さんからの誘い。城間さんは「地域の人に叱られます」と断ったが、「叱られなさい」と笑って返された。翁長さんに推されて行政へ。4年前に翁長市政を引き継ぎ、協働のまちづくり、子育て支援に取り組んだ。
14日の告示日、城間さんは翁長さんが眠る墓を訪れ立候補の報告をした。大好きだったワインと泡盛「常盤」を添え、長い時間手を合わせた。「翁長さんはうなずいていたと思う。その方向は間違っていないと」。いつもの柔らかい笑顔は凜(りん)とした表情に変わっていた。
(’18那覇市長選取材班・田吹遥子)