病床の子に笑顔届け 臨床道化師、全国巡る


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 両親が沖縄出身で大阪市生まれの伊佐常和さん(62)は、大阪を拠点に全国各地の病院へ出向いて闘病中の子どもたちを楽しませるクリニクラウン(臨床道化師)の活動を続けて10年以上になる。病状や個性も一人一人違う子どもたちと接する中で心掛けていることは、笑顔を引き出すだけではなく、子どもらしく素直に過ごせる時間を作ることだ。数年以内には母親が住む那覇市に拠点を移し、県内でクリニクラウンを育成することも視野に入れている。

クリニクラウンの「ポリタン」となり、闘病中の子どもを訪問する伊佐常和さん(右)=9月27日、県立南部医療センター・こども医療センター(日本クリニクラウン協会提供)

 大阪で生まれ育ち、20~30代のころは包装関係の企業などで会社員として働いていた。ボランティア活動にも参加するなど福祉関係の仕事に関心があったという。40代で障がい者を支援する事業団に転職、重度脳性まひの人の介助などを担当した。福祉の仕事をしながら休日には、腹話術を保育園などで披露し、子どもたちを楽しませる活動に取り組んだ。

 クリニクラウンを知ったのは、49歳のころ。日本クリニクラウン協会が募集していたオーディションの新聞記事を読んだ。オランダで始まったクリニクラウンを日本でも導入する動きがあることを知り「何か子どもたちのためにできることがあるならやってみたい」との思いが湧き上がった。

伊佐常和さん

 オーディションを受け、2005年11月に合格した。半年間の研修を受け、活動をスタートさせた。大阪を拠点に北海道から九州まで全国各地の病院を回り、沖縄にも4回訪問した。今年9月下旬、県立南部医療センター・こども医療センターなどを訪れ、子どもたちを笑顔にした。

 県内に拠点を移すことで自らが沖縄の病院を訪問するだけでなく、県出身のクリニクラウンを誕生させるとの将来像も描く。県内企業に対して「社会貢献として支援を頂けたら助かる」と呼び掛ける。最後に「ウチナーンチュもクリニクラウンができれば、沖縄での活動が広がる。これまでは行けなかった離島の子どもの元へも行きやすくなる。定着できたらと思う」と思いを込めた。

 (古堅一樹)