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命脅かす軍優先 忘れず 44年日本軍命令「宮崎疎開事件」 住民が初の語り継ぐ会

「宮崎疎開事件」を語り継ごうと初めて開かれた集会=11月13日、石垣市の川平農村集落センター

 【石垣】太平洋戦争中の1944年11月13日に、日本軍が石垣島川平集落の住民に宮崎県への疎開を命じた歴史を語り継ごうと、「『宮崎疎開事件』を考える集い」(同実行委員会主催)が11月13日、石垣市の川平農村集落センターで初めて開かれた。地域住民ら約40人が参加し、川平の戦中・戦後の歴史を風化させないことを確認した。

 宮崎疎開事件は「60歳以上の老人と婦女子、15歳未満」の住民に、宮崎県への疎開が日本軍から突然命じられたもので、当時の部落長らの懇願により疎開は撤回された。その後、全住民の石垣島崎枝への移転が命じられるも取り下げられ、代わりに川平湾を垣根で囲むよう命令があったため、住民総出で垣根を完成させたという。

 一連の軍命の背景には、川平湾に50隻が配備された特攻艇「震洋」の基地を秘匿したい軍の方針があったとされる。講師として登壇した郷土史家の大田静男さんは、宮崎県への疎開が撤回された理由として「川平の人が出て行けば、食糧や基地を誰がつくるのかということで取り下げざるを得ない状況になった」と指摘した。

 当時、国民学校の児童で、母親と共に疎開対象になったという南風野節子さん(83)も登壇。「大きな船に乗って宮崎へ行けると喜び、歌ってはしゃいでいたそうだ」と振り返りながら、「もし疎開していたら、対馬丸のように私たちも海の藻くずとなったかもしれない」と話した。

 戦中・戦後の体験を語りながら「戦争が始まるまではまさか石垣島の川平にまで基地が築かれるとは夢にも思わなかった」と語った上で「一度戦争が起きたら都会でも田舎でも、国の隅々まで被害から逃れることはできない。そのことを忘れてはいけない」と訴えた。