「海にはもう入れない…貝ももういない…」 辺野古住民、宝の海へ募る思い 工事進み生活変化 


この記事を書いた人 Avatar photo 高良 利香
辺野古の海で取れた貝殻をショーケースに並べにっこりする島袋初枝さん=11月30日午前11時45分、名護市辺野古

 自宅奥のガラス張りのショーケースに、きれいな貝やサンゴが並ぶ。小さな海のようだった。「とてもきれいだったから、海の神様にお願いして『これください』って言ったんだよ。こんなのいっぱいあったよ」と島袋初枝さん(91)が弾む声で言った。昔の話をするときのまなざしは穏やかで、優しい。辺野古には、同じように貝やサンゴを並べている家は多い。

 10年くらい前まで、辺野古の海によくウニやサザエ、ティラジャー(マガキガイ)を採りに行った。何でもざるいっぱいに採れた。「(旧暦)1日と15日は潮が引くから海を歩きよったよ」

 大潮の時は、米軍キャンプ・シュワブ近くの浜辺や沖合の岩場が浮き上がる。夜に懐中電灯を持って岩場を歩くと、サンゴにくっ付いて眠るようにサザエが潜んでいた。昼間は渡し船に乗って釣りに出た。針をたくさん付け、海の中に入れていたら「こいのぼりみたいにたくさん釣れたよ」と手でまねた。海の話をするとき、ずっと笑顔を浮かべている。

 今では辺野古の海にはあまり行かなくなった。行けなくなった、というのが正しい。「年も取ったし、基地がこんななってから行けない」と話す。米軍普天間飛行場の返還に伴う新基地建設工事が始まり、臨時制限区域が広がった。海面に浮かぶフロートの内側に、たくさん魚が釣れる場所があった。

 大潮の時は、平島と、これから埋められようとしている辺野古崎によく行った。辺野古崎は工事が進み、もう、入ることはできない。平島付近も、漁業者以外は貝やタコを採ってはいけないことになっている。護岸工事が本格化してからは、監視が厳しくなった。漁港には県、名護市、名護署、中城海上保安署、名護漁協などの連名で魚介類や海藻類を「採取してはいけない」と警告する立て看板も立った。

 「昔は漁協とか関係なかったけどね。海には行けないし、貝もみんないなくなってるよ。石積んだから」。昔の海の話をするときと違って、その声は、厳しく寂しげだった。

 島袋さんはまだ工事が始まる前、きれいな辺野古の海を「辺野古の宝物」だと思っていた。今の海をどう思うのか。「前はそう思ってたけど」と言ったまま、黙った。しばらくして、言った。「相当埋めてる。車が何十台も来ている。もう元の海には戻らないさあ」

 島袋さんは刻々と変わっていく海を見詰めている。宝をもたらしてきた海は本当に失われてしまうのか、心が痛む。(阪口彩子)
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 米軍普天間飛行場の返還に伴う新基地建設工事で、14日にも名護市辺野古の沿岸部に土砂が投入される。青く、透き通るほどの豊かな辺野古の海は大きく姿を変えようとしている。そして、海と共に生きてきた辺野古住民の暮らしにも変化の波が押し寄せている。新基地建設問題が浮上して20年余。辺野古は今、緊迫した空気に包まれている。この地にはかつてどのような生活があったのか。辺野古の人々は変わりゆく海に何を見ているのか。それぞれの思いを聞いた。