1960年代に沖縄県那覇市若狭で銭湯を経営しながら、世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級で13回連続防衛を成し遂げた具志堅用高氏らを高校時代に下宿させ、指導した上原勝榮(うえはら・しょうえい)氏が4日午前6時50分、出血性十二指腸潰瘍のため那覇市の病院で死去した。74歳。那覇市出身。告別式は7日午後1時から同45分まで、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館で。喪主は妻美代(みよ)氏。
上原氏は独学でボクシングを学び、後に世界王者となる上原康恒やフリッパー上原(上原晴治)ら実弟のほか、琉球ボクシングジムの仲井眞重次会長らを指導した。80年代まで「上原協栄ジム」を開設していた。