沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、埋め立て予定区域に土砂が投入されてから14日で1カ月。沖縄防衛局が市安和の琉球セメント安和桟橋を使い、運搬船に土砂を積み込み、辺野古まで海上輸送する。「安和から土砂を運ばないでほしい。戦争が起きれば再び沖縄は切り捨てられるだけだ」。琉球セメントの元社員で安和出身の七十代男性=は唇をかんだ。
生まれも育ちも安和。6歳で沖縄戦を体験し、海軍兵だった兄を失った。高校卒業後、建設作業員として米軍嘉手納飛行場の造成に関わった。ベトナム戦争があった1960年代、基地内で無数に並べられた金属製の箱が目に焼き付いている。「遺体の棺(ひつぎ)と聞き、ぞっとした」
60年代後半、配送の運転手として安和の琉球セメント屋部工場に就職した。「月収は80ドル余。周囲と比べ倍近くあった」。70年代に結婚すると隣地区に住居を構えた。部署を異動しながら定年まで30年余り勤めた。
工場からのばいじんが周辺住民に被害を及ぼす事態にも遭遇した。69年、住民らは「安和・勝山区煤塵(ばいじん)対策委員会」を結成し、工場前に座り込んで公害に抗議した。男性は住民として対策委員を担い、会社でも公害対策の仕事を任された。社員である住民も多かったという。
「家族を養うための収入を得る場だった。それ以上の思いはない」。言葉を選ぶように言った。
安和の桟橋が新基地建設に使われることは報道で知った。桟橋を訪れ、土砂の搬出作業を見詰めた。辺野古は東、安和は西の海岸に位置し、西の沖合には米軍伊江島補助飛行場がある。
「辺野古に基地ができれば、米軍機は名護市を横切って騒音をまき散らすのではないか。有事にもなれば、再び沖縄は切り捨てられるかもしれない」。基地に並んでいた無数の棺が頭によぎる。そんな不安が消えないでいる。