社会

静かな辺野古願って 昨年末死去・比嘉さん 反対の意志貫く

祭壇を前にする(左から)四女の誉医子さん、長女の積説さん、次男の盛覚さん、五女の流石さん=2018年12月、名護市辺野古の自宅

 【名護】米軍普天間飛行場移設問題が浮上した当初から名護市辺野古で反対の声を上げた比嘉盛順さんが昨年12月20日、80歳でこの世を去った。土砂投入開始から6日後のことだった。反対運動の場から退いた後も「きれいな海と、静かな辺野古を残したい」と新基地反対の意志を貫いた。

 比嘉さんが区内に「ヘリポート移設絶対許すな」と書いた横断幕を掲げたのは1997年1月。賛同する区民と共に「命を守る会」も結成した。代表を務めた西川征夫さん(74)は「彼なくしては、命を守る会はなかった」と振り返る。

 バスの運転手などを経て辺野古で菊栽培などを営んでいた。基地建設反対を表明したのは「子どもたちのために」という思いからだ。次男の盛覚(もりあき)さん(29)は「(区民の間では)基地建設の賛否を『口にしてはいけない』という雰囲気があった。お父ちゃんは勇気があった」と誇った。


「浜下り」の日に潮干狩りをする比嘉盛順さん=2015年4月21日、名護市辺野古沖

 体の衰えもあり晩年は精力的な活動はできなくなったが、新基地建設問題の推移を気にしていた。翁長雄志前知事が埋め立て承認の撤回を表明した際には「命を燃やして頑張っている」とその姿に感動しながら、工事を進める国の姿勢には「こんなに反対しているのに」と嘆いたという。

 新聞を通じて新基地建設の動きを追った。最後に目を通した紙面は12月15日付。国の土砂投入強行を報じていた。同居していた盛覚さんは「地元愛が強く、辺野古の歴史や方言、成り立ちをまとめたいと話していた」と振り返る。5女の流石(さすが)さん(27)は「寂しくて耐えられないが、父には感謝の気持ちでいっぱいだ」としのんだ。