社会

今も沖縄の地中に眠る1963トンの爆弾 戦後74年常に危険と隣り合わせ 糸満市の不発弾爆発事故から10年

重機を使った工事中、不発弾が爆発した現場=2009年1月14日午前、糸満市小波蔵

 糸満市小波蔵の工事現場で不発弾が爆発し、2人が重軽傷を負った事故から14日で10年がたった。事故後、公共工事での事前磁気探査義務化や、住宅などの建築で磁気探査費が全額補助される制度が設けられるなどの対策が進んだ。戦後74年が経過したが、県内では不発弾の発見が後を絶たず、県民は常に不発弾の危険と隣り合わせだ。関係機関は悲惨な事故が二度と起きないためにも「磁気探査の制度を積極的に活用してほしい」と呼び掛けている。

 事故は2009年1月14日午前、市発注の水道工事で、建設業作業員の男性が重機で掘削していた際に発生した。米国製250キロ爆弾に重機が触れ爆発、道路や重機を破壊した。付近の養護・特別養護老人ホーム沖縄偕生園で割れた窓ガラスは100枚余に及んだ。作業員男性は右目の視力を失うなどの重症、偕生園の入所男性は割れたガラス片で足に軽症を負った。



頭よぎる当時の光景 被害の特養ホーム園長



 「不発弾処理を知らせる看板や自衛隊車両の緊急走行を見掛けると、当時が頭をよぎる」。そう話すのは、10年前の糸満市の不発弾爆発で窓ガラスが割れるなどの被害が出た養護・特別養護老人ホーム沖縄偕生園の上里享之園長(40)だ。事故時は介護課長で窓ガラスの修復や、入所者への寝床確保などの対応に奔走した。

 穏やかな朝が「ドーン」という音でかき乱された。建物2階にいた上里さんは下から突き上げるような衝撃に「何が起きたか分からなかった」と振り返る。火災警報器が鳴り響く中、約160人の入所者には「昔(戦争)を思い出した」と不安を訴える沖縄戦体験者もいた。


不発弾爆発で窓ガラスが割れた地点を示す養護・特別養護老人ホーム沖縄偕生園の上里享之園長=15日、糸満市小波蔵

 窓ガラスの枠はひしゃげ、天井の一部が崩れかけた施設を撮影した写真は、爆発の衝撃の大きさを物語る。寒い日だったが空調は壊れ、暖房器具の調達に追われた。施設の完全修復には数カ月以上かかった。

 一方、事故後の施設の後片付けで、地域のボランティアらに救われたといい、チャリティーバザーの収益金を毎年、市社会福祉協議会に寄付している。上里さんは「恩返しできるものは継続していきたい」としつつ「不発弾の調査はしっかりやってほしい」と安心して暮らせる沖縄を願っている。



埋没1963トン



 県の17年版消防防災年報によると、沖縄戦で使用された弾薬は約20万トンとみられ、5%の1万トンが不発弾として残ったと推定している。日本復帰までに住民や米軍などが約5500トンを処理した。復帰後、17年までに自衛隊が処理した量は約2037トンだ。

 山や海底にあり、発見困難で処理できない永久不明弾は500トンと見込まれ、県内にはいまだ約1963トン余の不発弾が地中に埋まっている計算という。昨年も小学校の運動場から不発弾が発見され、住民らが避難を強いられるなどした。



補助制度の周知



 不発弾対策に取り組む県や沖縄総合事務局は、磁気探査を支援する補助制度の周知に注力している。住宅などの建築に対する「住宅等開発磁気探査支援事業」や、畑や原野に対する「広域探査発掘加速化事業」は探査費が全額補助される利点がある。沖縄総合事務局が事務局となる沖縄不発弾等対策協議会は、磁気探査の無料研修を年4回開いたり、探査機器を無償で貸し出したりしている。

 同局によると、過去に家屋を壊した後に掘削した際の磁気探査で、250キロ爆弾を発見した事例もあるという。担当者は「古い建物を建て替える時などは、深いところに不発弾が埋まっている可能性もあるので、磁気探査をやってほしい」と強調した。

 (金良孝矢)

住宅等開発磁気探査支援事業に関する問い合わせは県防災危機管理課(電話)098(866)2153。